武術にはいつまでたってもロマンを感じる

80歳で現役って…(じっさい見た目もほんとうに強そうです)

沖縄(琉球)にいきたいなという…夢のひとつですね。南国なのに日本語が通じるってのがまたいいなと…

映画:男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花

仏教はほんらい”強い”はず

仏教はこころの合気道

評論家の呉智英さんが、釈迦を評して”非凡なエゴイスト”としていました。

わたしも若いころ自分のどうしようもない我の強さや濃さになやまされていました。

その我の強さでなにかとんでもない悪をやる恐れとかを感じていました(実際、中学あたりまで、頭の良い、こズルいクソ悪ガキだったわけですから、まぁ、環境が悪かったです)。

そういう強い我をコントロールして、社会にプレゼンタブルなものにするタガとして仏教は非常に有効だし、そういう意味で、仏教というと世間がイメージするまろやかな人格とは隔絶した、ある種”強い人”が仏教からでてきてもおかしくないはずです。(合気道の開祖 植芝盛平翁がめざした”至誠の人”です)

そういう強い人が社会的なリーダーとしてみなに進むべきヴィジョンを示すこともあるはずだし、じっさい私は期待しています。

ダークソウル3: 信じることの不可思議な力

格闘技システマの指導者(元傭兵か軍人)の言葉だったと思うのですが、信仰がある傭兵のほうが体感では生存率が高かったということを聞いたことがあります。

その信じる力の不思議さは私も最近体験していて、まぁ、たんなるコンピュータ・ゲーム攻略での話にまでいっきに格が落ちますが(笑)。

Darksouls3というゲームを去年プレイしていました。アクションRPGでプレイヤーは死んで攻略法を見つけていくという”死にゲー”と言われるジャンルの本流の作品です。

で、私も何度も死にながら、どうにかこうにかゲームを進めていったのですが、どうしても、ラスボスのひとつ前のボス(兄弟二人を倒さなければならない)が倒せない。

ここで、私の基本信念は”ロールプレイングゲーム(RPG)の敵はこちらのキャラのレベルを十分上げていればいずれ勝てる”です。これはゲーマーとしてコンピュータRPGをプレイしてきたことからくる信念です。

でも、はっきりいって10レベルくらい上げたって、自分のキャラクターは数値的にはそんなに強くなっているとは思えないんですね。

とはいえ、この”レベルを上げることによるキャラの強化”を信じてコツコツレベルを上げるわけです。その間に何度も当該ボスにもチャレンジして討ち死にしています。

ここらへんで、試行錯誤が発生して、Youtubeで当該ボスの撃破動画を検索して参考にしたりしだします。

私のキャラクターは重装甲で防御し、巨大な両手斧の大ダメージを、殴られながら叩き込んでいくという、たこ八郎師匠のボクシング現役時代のような戦法でした。

今でも面白い現象だと思うのは、魔法使い系のキャラクターによる攻略動画で、布の服を着て一撃もくらわずにそのボス敵を倒している人のものを見たとき、”自分もできそう”と思ったんですね。

”なるほど、一撃も食らわないんだから鎧を着たりする必要もないのか”

と考えて、乞食みたいな恰好をして回避性能を上げてプレイしだして数十回当該ボスに挑んで、あと3発攻撃を当てれば倒せていたというところまでいきました。

“できそう”と思って信じて練習していると実際にできる方向に物事がすすんでいくこの感じは面白いなとおもいます。

結局、最終的には、普通の人がレベル80前後で攻略するところを私のキャラクターはレベル130くらいにまでなっていて、装備は中程度の防御と巨大両手斧でクリアできました。


「DARK SOULS」(ダークソウル)で死なないための5か条