神が”存在”するかどうかは詮索する必要がない

ある人のココロのなかに”神”というシンボル表現があることで、そのひとのココロという系(システム)が安定するっていうなら、他人がとやかく言うこともないでしょうということです。

信仰それじたいに意味がある

ユダヤ教の聖典

マトリックスから醒めてみる??

いまの世の中でフツーの感じで暮らしているひとたちは、ある種のマトリックス(映画のアレみたいなヤツ)にいるとたとえることができます。

世の中はこんなモノとか、社会通念とかいろいろなココロの中にある枠です。

で、そういう枠がわれわれが暮らしているなかで自然発生的にでてきたならまぁ、そんなもんかという気がしますが、わたしの感じるところでは(わたしの言葉でいう)”操作系の人たち”がかなり操作しているなという感じです。

まぁ、わたしにはそう見えるってだけで、必ずしもそれが悪いことだと主張するつもりもありません。

映画マトリックスで、ほんとうの現実に耐えられなくて、あえてマトリックスに戻ることを選択したサイファーって登場人物がいるのですが、わたしはサイファーのことが結構好きで、責める気になりません。

サイファーさん、お肉はおいしいですか…
いまごろ映画マトリックスの感想
映画マトリックスのネブカドネザル号風味の椅子
世の中変えるつもりがないなら、ヨガとか仏教なんかやめちまえ!

仏教のさとりは、心をOSとすると、不必要な(デーモン含めた)プロセスが全部止まった状態

だから、何かをなそうとすると(あるアプリケーションを走らせると)、さとりの心境にある人はパフォーマンスがでるのではないかと…

単純に雑念がナイって言えば良いですね。

まぁ、元プログラマーのちょっとしたヨタ話です。

Yogas Chitta Vritti Nirodha (ヨーガス・チッタ・ヴリッティ・ニローダ)

神に自覚はあるのか??

神っていうと正直にいうと正確にはどんな存在なのかよくわからないですが、ものすごくいろいろな意味でパワフルな存在ということでしょう。(たとえば時空間を自由に操れるとか…)

そのとき、神といわれている存在に自意識があるとして自分のことをナンだと思っているのかなとちょっと妄想しました。だって、(たとえば自分を消滅させることができる存在とか)自分よりもっとパワフルな存在っているんじゃないかって想像したら、自分を神とは思わないのではと考えました。

愛(慈悲)は宇宙の普遍的な価値になりえるか

スピリチュアル系のYoutube動画を視聴していると、いわゆる愛(慈悲)が宇宙的に普遍的な価値観であるという想定をしているように感じられます。

もちろん、われわれ人間っぽい生物で群れを作るモノならそういう価値は認められる気がしますが、そうじゃない生物もやまほど想定できそうです。

たとえば、昆虫由来っぽい高等生命とかです。

”我々には価値がある”と感じられるモノが、”彼ら”にはまったく理解不能の概念ということは十分あり得ると思います。だからといって彼らが悪いとは言えない気もします。

人間がアリのように見える存在はいるのか

世の中変えるつもりがないなら、ヨガとか仏教なんかやめちまえ!

すみません、ちょっとイキったタイトルつけたほうがウケるかなと思って、こんなこと言ってみました(笑) ぷー太郎のざれごとです(笑)

ただ、西洋哲学が最終的にセカイを破壊できる核兵器を産み落とせたなら、東洋哲学がまっとうに進化していたら圧倒的な平和を実現するナニカを産み出せていたはずだと私見ですが思っています。つくづく残念です。

釈迦の言っていることはメチャクチャな極論…だがそれがいい

いちおう、わたしなりに理解したかぎり釈尊が伝えようとした心境(ブッダ)は極限としてありえるし、釈尊の説いた教えには心をやすらかにする知恵や考え方がつまっているといまでも思っています。よくできた信念体系だなと感心しています。

ただ、意識レベルを俗っぽい感じにして釈尊の主張を見てみると、ギョっとすることばかりですね(笑)

家族の否定とか。酒飲むな、女抱くな、乞食しろって…正直、よく信者がついたなと…(そして極東の日本に伝わって即身仏とかいうエクストリーム行為をするひとたちがでてきたりして、大騒ぎですね)

仏教入門

仏教界の大物に死ぬことを異常にビビる衆生を一喝していただきたい

死を前提として輝く生

慈悲は自分のためでもある

ここでいう慈悲はやっぱりわたしの解釈ではある種の強者が弱者へ向ける気遣いとか愛といったモノかなと思っています。

みんな大好きな武将であり政治家であり将軍つまり天下人である徳川家康は、自分の娘の婿一族をエグいやりかたで皆殺しにしたあと、さすがにココロが壊れそうになったんでしょうね、ひとり必死に写経に打ち込んでいた時期があったなんてウワサを聞いたことがあります。

人間である以上、強いからなにやってもいいとか調子こいているとココロが荒むだろうという。

自分のメンタルヘルスの管理という面でも、ちょいちょい慈悲的な行為をしておかないと長期的にはいろいろなダメージが来ますよということではないでしょうか。

釈迦のスゴミ:イカダのたとえ

仏教をカジった方には有名だと思いますが、釈尊は自分がいろいろと人々に伝えた教えを川(煩悩)の激流をわたるイカダ(筏)にたとえました。

もし、修行がうまくいって煩悩の激流を渡り終えたのなら、イカダ(教え)は捨てろと説いたのです。コレってすごくないっすか??

わたしはこのハナシを聞いたときに、「アレ、シャカってホンモノかな…??」とうっかり思ってしまいました(笑)

ノアだけはガチ

いや、いまでもホンモノと思っていますけど(笑)

すくなくとも、釈迦というニンゲンは本気で衆生の苦しみを解決するつもりだったのではないかと、わたしは思っています。

釈迦の失敗の原因のひとつはブッダをいちばん上に置いてしまったこと
人間の価値

神、儒、仏の習合としての武士道

ということを、与国秀行さんがおっしゃっておられて、ちょっと考えてみると、武士道ってのはアリかなと思っています。

神は日本古来の神道、儒は孔子(中国)の儒教、仏は釈迦(インド・ネパール)の仏教です。

与国秀行さんを応援しています

Youtubeに与国チャンネル武士道があります。

あとで加筆しますが、短く言うと…

一国の民が暮らしていくにあたって精神的な支柱としてなんらかの考え方や規範、信仰みたいなのはあったほうがいいだろうとは思います。そして、いまの世の中だと、その考え方にどうしても”武”というものを入れざるをえないでしょうと思っています。もっというと武をいかに使うか(使わないか)がいまの情勢だと最重要になります。

仏教はわたしは比較的なじんでいますが、チベットなんかを見てみてもわかるように国を支え切るには武がないんですね。仏教では基本、武は使わないという前提だろうと私は理解しています(武のことは語らないというのが正しいでしょうか)。

そのうち加筆します

完成された武士の心境
あいつらは文明程度も劣っているし、肌の色も濃いから支配していいんだって来られたら、死に物狂いで抵抗するのもアリ

聖書をのんびりと聴く

BibleGateway.comというところで、ドラマ仕立ての英語で聖書を聴くことができます。頭が疲れている夜なんかにぼぅっという感じで聴いているとココロがなごみます。エゼキエル書の預言とか面白いです。

初期仏典も音声で聴けるようになってればいいのにと思いました。

釈迦の失敗の原因のひとつはブッダをいちばん上に置いてしまったこと

仏教についてはシロウトのプ~タロウが思ったことを勝手に書いている落書きもしくはポエムなので、わらって見逃していただけると助かります。


ここでは釈迦が唱えた”ブッダ”ということばであらわされる精神状態がアルと仮定します。

で、わたしもいろいろ”四苦八苦”で苦しむのはかなわんから”苦”を滅することができるってんならっていろいろ考え方や感じ方を参考にさせていただいています。

いちおう今の世の中の現状をみてみると、ブッダそのものになっていないとしても苦を滅する心境としてブッダに近づけている人が大勢いるかっていうと、私見ではあまりいないっぽいと感じられます。

その原因のひとつとして、釈尊がブッダになった者は偉いってやってしまったことがあるのではないでしょうか。苦を滅するためにブッダを目指すのではなく、偉くなりたいからブッダを目指すってひとが少なからずでてきてしまっているのが歴史を見てみるとわかります(もっとひどいと、ブッダさえ目指していなくてたんにある教団内部で出世できればいいとか…)。

たんなる、そういう考え方や感じ方をして生きればいろいろな種類の苦しみをいなすことができますよっていう”生活の知恵”(もしくは”哲学”)でええやんっておもいます。

そもそもそんな人間特有の苦痛を感じるのは人間が大脳を発達させすぎたからなわけで、サルやトラ、トリに仏教はひつようないですね。(サルには必要かな…)


もともと”実戦(実践)”を想定してでてきている良いモノが長い歴史のなかで形骸化してしまって、たんなるお遊戯レベルに堕しているっていうのは、日本の武道などにも例を見ることができます。

仏教はこころの合気道

ジーザスはヒーリング能力はもっていたんじゃないかな…

どういう仕組みかはわかりませんけど、手当たり次第にヒールしてたっぽいですね。あと死者の復活とか…(ぜんぶ仕組まれた茶番という読み筋もまだありえますけど…)

それであんなに当時の人々の注目を集められたのかなという…(もしくは弟子の宣伝活動のうまさとか… ジーザスの死後、弟子が本気でホンモノとして熱心に宣伝しようとしたのは、ヒール能力はホンモノだと弟子たちも現場を目撃して信じていたのではないでしょうか。)

でも、物理世界に対する特殊能力としては”ヒール能力”だけなので、はりつけにされたら死にますね…

中二病ならホンモノを楽しもう!(イエス・キリストの生涯)

いま上であげた”イエス・キリストの生涯”を鑑賞していますけど、イスカリオテのユダの裏切ってからの~後悔して自死というヘタレっぷりに毎度のことながら少しイライラしました。

中二病ならホンモノを楽しもう!(イエス・キリストの生涯)

最近気が付いたんですが、アマゾン・プライムで”イエス・キリストの生涯”という力作を視聴できます。(HISTORYチャンネルのものみたいですね)

欧米の文化的背景を理解するには、われわれ和の国のひとであっても、不可避的に聖書を読んで、その世界観に触れざるをえません。

中学二年生あたりで、「この世ってなんだ??」みたいなひとは、ここらへんのホンモノをいちど鑑賞することをお勧めします。


わたしなんかは何度も聖書をよんだりしていますが、「ジーザスよ、そんな振る舞いしたら死ぬぞ」とか、「RPGにおけるヒーラーの救世主ってこんな感じか…、攻撃魔法使い系のメシアだったらどんな感じかな…」とか思いながら鑑賞しています。

イエス・キリストのこと
映画:Man On Fire