釈迦の失敗の原因のひとつはブッダをいちばん上に置いてしまったこと

仏教についてはシロウトのプ~タロウが思ったことを勝手に書いている落書きもしくはポエムなので、わらって見逃していただけると助かります。


ここでは釈迦が唱えた”ブッダ”ということばであらわされる精神状態がアルと仮定します。

で、わたしもいろいろ”四苦八苦”で苦しむのはかなわんから”苦”を滅することができるってんならっていろいろ考え方や感じ方を参考にさせていただいています。

いちおう今の世の中の現状をみてみると、ブッダそのものになっていないとしても苦を滅する心境としてブッダに近づけている人が大勢いるかっていうと、私見ではあまりいないっぽいと感じられます。

その原因のひとつとして、釈尊がブッダになった者は偉いってやってしまったことがあるのではないでしょうか。苦を滅するためにブッダを目指すのではなく、偉くなりたいからブッダを目指すってひとが少なからずでてきてしまっているのが歴史を見てみるとわかります(もっとひどいと、ブッダさえ目指していなくてたんにある教団内部で出世できればいいとか…)。

たんなる、そういう考え方や感じ方をして生きればいろいろな種類の苦しみをいなすことができますよっていう”生活の知恵”(もしくは”哲学”)でええやんっておもいます。

そもそもそんな人間特有の苦痛を感じるのは人間が大脳を発達させすぎたからなわけで、サルやトラ、トリに仏教はひつようないですね。(サルには必要かな…)


もともと”実戦(実践)”を想定してでてきている良いモノが長い歴史のなかで形骸化してしまって、たんなるお遊戯レベルに堕しているっていうのは、日本の武道などにも例を見ることができます。

仏教はこころの合気道

わたしなりにつかんだ仏教のコツ

「ムキにならないこと」

ですね。たとえ善行をしようとしているときでもムキになってしまうとワレを忘れて感情の激流に足をとられることがでてきます。

なにごとも、一歩引いて冷静に考える余裕を確保してコトにあたるのがいいのかなと最近は思っています。

釈迦が断言、「煩悩に屈するぐらいなら我は勇ましく戦って死ぬ、このさい生死は問題ではない」

タイトルのようなことをスッタニパータかダンマパダで読みました。

まぁ、釈尊は自分の中の煩悩の存在に気づき、戦いを挑んで勝利したので仏陀になりました。で、こんどは他人にも煩悩と戦えとけしかけたわけです。

自分は自分の王・女王であるということ
自灯明・法灯明
死を前提として輝く生