わたしは個人的にベンジャミン・フルフォードさんのファンです。
今回は軽井沢にあるビル・ゲイツさんの広大な別荘に突撃取材を試みています。
ベンジャミンさんなりの情報と正義感(&ビジネス)でやっているのでしょうし、応援しています。
わたしは個人的にベンジャミン・フルフォードさんのファンです。
今回は軽井沢にあるビル・ゲイツさんの広大な別荘に突撃取材を試みています。
ベンジャミンさんなりの情報と正義感(&ビジネス)でやっているのでしょうし、応援しています。
与国チャンネル武士道 というYoutubeチャンネルを持っていますね。
フワッとしたフィーリングで応援しているので…まぁ、ファンですね。
ひとつ言えるのは、ある種の非常に大きな絵というかストーリーを持っている方だなと思っています。
あと元伝説の不良少年ということで、必要なら悪(のように見えること)もできそうというのがイイですね。
あと奥様が美人でうらやましいとか(笑)
ってなことを、映画ビューティフル・マインドで有名なジョン・ナッシュさんは具合が悪いときにおっしゃっていたようですけど、わたしは自分の心と身体を治めるのに一苦労でそれ以上のものを統治したい気はしないですね…
自分は自分の王・女王であるということ
ルーピーと呼ばれたりして、わたしも一時は鳩山さんのことがバカっぽく見えていた時期がありました。
いまは鳩山さんなりに何かをしようとした結果がああなったのだろうと思っています。
デキルと思ったことがデキなくて、結果としてバカっぽく見えてしまったのだろうと。
一定以上の知性がバカっぽいことをやったように見えた場合、それなりの理由があるのかなというのが現在の感想です。
昔から、なんとなしにジミー大西さんに好感をもって、活躍をみさせていただいていました。
なぜ好感を持つかというと、人間の型として非常にわたしと近い感じの人なのではないかと思っているからです。
いちファンの希望としては、お笑い芸人と画家の両立をしていただければなと思っています。
洋楽好きで船乗りの父と邦楽好きで民謡の師範代だった母の間に生まれる[5]。義務教育時代は学力通知表がオール5[6]、中学校では全国共通模擬試験の英語科目で全国一位になるレベルだったが、音楽人となってからは高偏差値であることを窺わせる態度や発言をすることはなく、お笑い芸人との交流に勤しんだりホームレスに差し入れをしたりといった庶民的な一面を見せる。2010年から「有り余るパワーをコントロールするため」にタトゥーを彫っている。
Wikipedia 鬼束ちひろ
わたしは音楽はうといほうですが、鬼束ちひろさんの広い意味でのファンだと言ってよいのかなと感じています。気になる歌があって、それが鬼束ちひろさんのものであるという機会が多かったです。
Wikipediaの鬼束ちひろさんのページを読んでいて、「あぁ…、お大事に…」って感じがまずしました。(ある種、わたしと共通するような生きづらさをお感じになられているのではないかなと…)
いろいろツッコミどころはある方なのでしょうけど、わたしはなんというかニクめない人という感情を持っていることに気が付きました。
いわゆる悪い人ではないと思うのですね。どちらかというと善人なのではないかと。
旦那さんが総理大臣という日本では攻撃のターゲットになりやすい仕事なのでタイヘンだろうなという…
野村 秋介(のむら しゅうすけ、1935年2月14日 – 1993年10月20日)は、日本の新右翼、民族派活動家。戦後の民族派の代表的な論客として知られた。
1992年、第16回参議院議員通常選挙に際して、日本青年社等が組織した「たたかう国民連合・風の会」から横山やすしらと共に比例区で立候補した。その際、『週刊朝日』で風刺イラストの連載「ブラック・アングル」を持つイラストレーターの山藤章二が、これを「虱の党」と揶揄した作品を発表した。マスコミの中で特に朝日新聞にこだわっていた野村は抗議の姿勢をより強めた。
選挙後、藤本敏夫らとともに、少数派・諸派の立候補者を排除するマスコミの選挙報道を公職選挙法違反として刑事告訴した。民事裁判も起こしたがいずれも認められなかった。
翌年の1993年10月20日、中江利忠社長(当時)ら経営陣からの謝罪を受けるため、朝日新聞東京本社に訪れ、中江らとの話し合いの後、「皇尊弥栄」を三唱後に拳銃自殺する。享年58歳。
野村の墓は、伊勢原市の野村家の菩提寺、天台宗浄発願寺にある。命日は一周忌である1994年から『群青忌(ぐんじょうき)』と称され、追悼集会や講演会などが行われている。この「群青忌」は親交のあった阿部勉が命名した[2]。
私は野村さんの死を美化するつもりもないし、貶めるつもりもありません。部外者としては、ひとりの大人の判断の結果なのだろうとしか言えません。
ただ、私は野村さんのことがすこしうらやましい気持ちがあります。民族派として野村さんにはみんながこうあるべきみたいなものがあって、それに殉じたわけです。残念ながら私には、みんながこうあるべきだみたいな信念がありません。自分についてはこうしようという信念はありますが、それは私の個人的なものであって、人に勧めていいとはとても思えないからです。それでその人がいい結果を得られる確信もありませんし。
もうちょっと色々と野村さんについての思いみたいなのを書けるつもりだったのですが、意外とかけないものですね。ただ、たまに野村さんのことを思い出すことがあるということは、私なりに野村さんから何らかの心理的な影響を受けたのだと思います。
蛭子能収さんは人気タレントですが、いろいろな意味で蛭子さんはヤベーなと私は思っています。
私もいろいろなきびしめの状況下において、
「俺が一切手を下さず(つまり責任をとらされることなく)、ここにいるコイツラ全員死んだらおもしれーな…」
みたいなイケない思考の流れがふっと湧くことがあります。(まぁ、そういう邪念は受け流すんですが)
まぁ、そういう猛々しい心の動きは20代のころのことです、最近はほぼ枯れました
もし、中学生や高校生のころにツレがこんなこと言い出したら、
「おい、そんなこと言うなよ。また一緒に悪いことしよう」
と言っていさめたと思います。
相手が分別がついてそうな大人だったら、正気をすこし疑います。
皮相的には、こういう聖人志向はそれが無理だと悟った時の反転(悪落ち)が怖いので要注意人物だというのがまず一点あります。
ただ宮沢賢治さんはどうやらガチのひとだったみたいですね。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩