ゆきゆきて神軍(ベンジャミン・フルフォードさん)

わたしは個人的にベンジャミン・フルフォードさんのファンです。

今回は軽井沢にあるビル・ゲイツさんの広大な別荘に突撃取材を試みています。

ベンジャミンさんなりの情報と正義感(&ビジネス)でやっているのでしょうし、応援しています。

江頭2:50さんがYoutubeでハジけてる

Youtubeのエガちゃんねるでチャンネル登録者数がかるく200万を超えてますね。

わたしもファンなのでうれしいです。(自分を笑われモノにしていく感じの芸人の方は好きです)

江頭2:50さんのことは、まだ江頭さんが大川興業の新人のコロに島田紳助さんの深夜の対談番組とかにでてたころから、その後のいろいろな意味での快進撃も同時代人として拝見させていただいていました。

太宰治はヘタレ

太宰ファンおよび関係者の方々すみません、いちプータロウのたんなる個人的な人物評ですので、あまり怒らないでいただけるとたすかります。

まず、太宰は金持ちの家に生まれ、衣食住にことかかない生活をできる身分でした。大学も東大に行ったんですから頭もよかったのでしょう。

わたしがいちばんイライラするのは、自分のわけのわからない”存在の不安”みたいなのに貧乏人の女給を巻き込んで心中未遂をなんどもやっているところです。

ただ文学作品としての「人間失格」は、そのクズ描写が秀逸で好きです。

千年に一人のクズ

与国秀行さんを応援しています

与国夫妻 財団法人武士道の理事長

与国チャンネル武士道 というYoutubeチャンネルを持っていますね。

フワッとしたフィーリングで応援しているので…まぁ、ファンですね。

ひとつ言えるのは、ある種の非常に大きな絵というかストーリーを持っている方だなと思っています。

あと元伝説の不良少年ということで、必要なら悪(のように見えること)もできそうというのがイイですね。

あと奥様が美人でうらやましいとか(笑)

鳩山由紀夫さんのこと

ルーピーと呼ばれたりして、わたしも一時は鳩山さんのことがバカっぽく見えていた時期がありました。

いまは鳩山さんなりに何かをしようとした結果がああなったのだろうと思っています。

デキルと思ったことがデキなくて、結果としてバカっぽく見えてしまったのだろうと。

一定以上の知性がバカっぽいことをやったように見えた場合、それなりの理由があるのかなというのが現在の感想です。

ジミー大西さんが好き

ジミー大西さん

昔から、なんとなしにジミー大西さんに好感をもって、活躍をみさせていただいていました。

なぜ好感を持つかというと、人間の型として非常にわたしと近い感じの人なのではないかと思っているからです。

いちファンの希望としては、お笑い芸人と画家の両立をしていただければなと思っています。

鬼束ちひろさんのこと

洋楽好きで船乗りの父と邦楽好きで民謡の師範代だった母の間に生まれる[5]。義務教育時代は学力通知表がオール5[6]、中学校では全国共通模擬試験の英語科目で全国一位になるレベルだったが、音楽人となってからは高偏差値であることを窺わせる態度や発言をすることはなく、お笑い芸人との交流に勤しんだりホームレスに差し入れをしたりといった庶民的な一面を見せる。2010年から「有り余るパワーをコントロールするため」にタトゥーを彫っている。

Wikipedia 鬼束ちひろ

わたしは音楽はうといほうですが、鬼束ちひろさんの広い意味でのファンだと言ってよいのかなと感じています。気になる歌があって、それが鬼束ちひろさんのものであるという機会が多かったです。

Wikipediaの鬼束ちひろさんのページを読んでいて、「あぁ…、お大事に…」って感じがまずしました。(ある種、わたしと共通するような生きづらさをお感じになられているのではないかなと…)

一周して安倍昭恵さんが好き

いろいろツッコミどころはある方なのでしょうけど、わたしはなんというかニクめない人という感情を持っていることに気が付きました。

いわゆる悪い人ではないと思うのですね。どちらかというと善人なのではないかと。

旦那さんが総理大臣という日本では攻撃のターゲットになりやすい仕事なのでタイヘンだろうなという…

野村秋介さんのこと

wikipediaより


野村 秋介(のむら しゅうすけ、1935年2月14日1993年10月20日)は、日本新右翼民族派活動家。戦後の民族派の代表的な論客として知られた。


1992年第16回参議院議員通常選挙に際して、日本青年社等が組織した「たたかう国民連合・風の会」から横山やすしらと共に比例区で立候補した。その際、『週刊朝日』で風刺イラストの連載「ブラック・アングル」を持つイラストレーター山藤章二が、これを「の党」と揶揄した作品を発表した。マスコミの中で特に朝日新聞にこだわっていた野村は抗議の姿勢をより強めた。

選挙後、藤本敏夫らとともに、少数派・諸派の立候補者を排除するマスコミの選挙報道を公職選挙法違反として刑事告訴した。民事裁判も起こしたがいずれも認められなかった。

翌年の1993年10月20日、中江利忠社長(当時)ら経営陣からの謝罪を受けるため、朝日新聞東京本社に訪れ、中江らとの話し合いの後、「皇尊弥栄」を三唱後に拳銃自殺する。享年58歳。

野村の墓は、伊勢原市の野村家の菩提寺、天台宗浄発願寺にある。命日は一周忌である1994年から『群青忌(ぐんじょうき)』と称され、追悼集会や講演会などが行われている。この「群青忌」は親交のあった阿部勉が命名した[2]


私は野村さんの死を美化するつもりもないし、貶めるつもりもありません。部外者としては、ひとりの大人の判断の結果なのだろうとしか言えません。

ただ、私は野村さんのことがすこしうらやましい気持ちがあります。民族派として野村さんにはみんながこうあるべきみたいなものがあって、それに殉じたわけです。残念ながら私には、みんながこうあるべきだみたいな信念がありません。自分についてはこうしようという信念はありますが、それは私の個人的なものであって、人に勧めていいとはとても思えないからです。それでその人がいい結果を得られる確信もありませんし。

もうちょっと色々と野村さんについての思いみたいなのを書けるつもりだったのですが、意外とかけないものですね。ただ、たまに野村さんのことを思い出すことがあるということは、私なりに野村さんから何らかの心理的な影響を受けたのだと思います。