仏教はこころの合気道
評論家の呉智英さんが、釈迦を評して”非凡なエゴイスト”としていました。
わたしも若いころ自分のどうしようもない我の強さや濃さになやまされていました。
その我の強さでなにかとんでもない悪をやる恐れとかを感じていました(実際、中学あたりまで、頭の良い、こズルいクソ悪ガキだったわけですから、まぁ、環境が悪かったです)。
そういう強い我をコントロールして、社会にプレゼンタブルなものにするタガとして仏教は非常に有効だし、そういう意味で、仏教というと世間がイメージするまろやかな人格とは隔絶した、ある種”強い人”が仏教からでてきてもおかしくないはずです。(合気道の開祖 植芝盛平翁がめざした”至誠の人”です)
そういう強い人が社会的なリーダーとしてみなに進むべきヴィジョンを示すこともあるはずだし、じっさい私は期待しています。