という批判とか蔑み(さげすみ)、罵倒は仏教僧には効かないというか…
まず、乞食(コジキ)という言葉自体が、釈迦が弟子にやらせた乞食行(こつじきぎょう)から出てきているからですね。わかってて乞食をやっているわけです。批判蔑み上等でやっているし、じっさいにいろいろなイヤな目にあうこと自体が修行です。
タイの仏教僧が托鉢でもらえるフライドチキンとかを食いすぎて結構な数の僧侶が糖尿病とかの生活習慣病になっていると聞いたとき、
「コイツらバカかな…、必要なだけ食うなりもらうなりして節制すりゃいいだろ…」
と思いました。(釈迦の弟子を名乗るならもう少しシャンとしなさいという…)
ちなみに私の記憶が正しければ、日本では乞食行為はたしか禁止する法律があったはずです。まぁ、わたしも乞食はイカんだろとおもいます…
でです、仏教じゃなくヨガのほうの話なんですが、ヨガでそこそこ人気のある先生が「日本の金持ちは寄付をしてくれなくて…」みたいに嘆いて見せてたのを見たことあるんですが、
「人が苦労して稼いだカネをそうそう簡単にもらえると思ってんじゃねぇーよ、このコジキが!!」
というのが私のそのときの正直な感想でした(まぁ、例によって言わないんですけど…)
自分は良いことしているし、良いことに使おうとしているから、だれか金持ちがお金を恵んでくれるはずっていう、私からすると甘っちょろい考えには正直イライラします。じぶんで、売春するなり、土方するなり血を流して稼いでみろよと思います。
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