野村秋介さんのこと

wikipediaより


野村 秋介(のむら しゅうすけ、1935年2月14日1993年10月20日)は、日本新右翼民族派活動家。戦後の民族派の代表的な論客として知られた。


1992年第16回参議院議員通常選挙に際して、日本青年社等が組織した「たたかう国民連合・風の会」から横山やすしらと共に比例区で立候補した。その際、『週刊朝日』で風刺イラストの連載「ブラック・アングル」を持つイラストレーター山藤章二が、これを「の党」と揶揄した作品を発表した。マスコミの中で特に朝日新聞にこだわっていた野村は抗議の姿勢をより強めた。

選挙後、藤本敏夫らとともに、少数派・諸派の立候補者を排除するマスコミの選挙報道を公職選挙法違反として刑事告訴した。民事裁判も起こしたがいずれも認められなかった。

翌年の1993年10月20日、中江利忠社長(当時)ら経営陣からの謝罪を受けるため、朝日新聞東京本社に訪れ、中江らとの話し合いの後、「皇尊弥栄」を三唱後に拳銃自殺する。享年58歳。

野村の墓は、伊勢原市の野村家の菩提寺、天台宗浄発願寺にある。命日は一周忌である1994年から『群青忌(ぐんじょうき)』と称され、追悼集会や講演会などが行われている。この「群青忌」は親交のあった阿部勉が命名した[2]


私は野村さんの死を美化するつもりもないし、貶めるつもりもありません。部外者としては、ひとりの大人の判断の結果なのだろうとしか言えません。

ただ、私は野村さんのことがすこしうらやましい気持ちがあります。民族派として野村さんにはみんながこうあるべきみたいなものがあって、それに殉じたわけです。残念ながら私には、みんながこうあるべきだみたいな信念がありません。自分についてはこうしようという信念はありますが、それは私の個人的なものであって、人に勧めていいとはとても思えないからです。それでその人がいい結果を得られる確信もありませんし。

もうちょっと色々と野村さんについての思いみたいなのを書けるつもりだったのですが、意外とかけないものですね。ただ、たまに野村さんのことを思い出すことがあるということは、私なりに野村さんから何らかの心理的な影響を受けたのだと思います。

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