この世をゲームにたとえるとします

この世をゲームに例えること自体の是非はいまは問わないものとします。 ふつうゲームにはある種の終了条件があることが多いのですが、まず往生してしまうのは、この世に終了条件や勝利条件というものがあるのかどうかさえ分からないという点です。 「あなたがこの世にいま存在する意味を(もしくは無意味であることを)あなた自身は知っていますか?」 この問いに即答できる人はたぶんいないのではないでしょうか。ここらへんは、アンドロイドなんかが現実的になれば、 「ワタシハ、ニンゲンにホウシすることをイトしてセイゾウサレマシタ」 みたいな答えをするのでしょう。 映画:バニラスカイ 私は自分がこの世に生まれた意味(や意図)みたいなものがあるのなら、それに従うかどうかは別にして、ぜひ知りたいものだと思っています。 私がいまある種の天命じゃないかと感じているのは、”母の世話をすること”です。たぶん私が17歳のときに父が亡くならなかったら、若いころアメリカへ渡っていたと思います。いま、老いて認知症になった母の世話をすることに父との暗黙の約束を果たしているというある種の満足感を感じています(タクシーでクソもらされたりとかいろいろしんどいものの)。 もうちょっといろいろ書けるつもりだったのですが、気が向いたら加筆します。 わたしは幼稚園に行く以前のガキのころ、狭い長屋で母のフトンのほうに手をのばすと、母が手をつないでくれてなんとなく安心して眠った記憶がいまでもありますそういう恩があるとはいえ、ぶっちゃけ、いま認知症に相手がなって、そうとうシンドイだろコレって、キレイごとは世の中とおらんなという… https://t.co/8zeus6Mn2X — 峯島雄治 Minejima Yuji (@yuji_minejima) January 11, 2020