ドナルド・トランプさんが好き

明らかに私が志向している仏教やヨガなどから導かれる仙人・乞食タイプと違っているのに、気が付いたら好感をもっていて、気になる人物として米合衆国大統領ドナルド・トランプさんがいます。(私がトランプ・タワーを所有していたら一生そこから外出しないと思います、ましてや大統領になろうなんて…)

トランプさんは欧米流のヒーロータイプだと思います。ドラえもんでいうジャイアンタイプ。

いまから40年ほど前の中学1年生の頃、中3でサッカー部の主将をしていた先輩はいわゆる番長でした。その番長がシンナーを吸って半狂乱になって校舎の窓の大半を破壊してしまったとか、中学時代は毎日が事件つづきでした。その番長を見ていた目線に近いものがあります。自分はできないけどなんか面白い人という…。(真面目な方ごめんなさい…)

ちょっと考えてみると、釈迦RMS、トランプさんといい、キャラが立っている人が私は好きなんだなと思いました。さらにいえば、小さくまとまりがちな世の中の幅を広げてくれる人。

そういう意味で私はガキの頃からビートたけしさんのファンなのですが、たけしさんには、いつまでも日本流の”何をやらかすか分からない人”でいてほしいと思っています。

殺したいほど憎い人?

私がまだ紅顔の美少年(笑)だった中学生のころ、その当時30代後半から40代前半あたりの理科担当だった男の先生が授業中にしみじみと、

「君たちが私くらいの年齢になるころにはね、できることなら殺したいと思うような相手がひとりやふたりいるものです」

その当時はへぇ~そんなものか、オトナって大変だなと思いました。

いまの感想としては、

「そんな相手、ひとりもいねぇ~じゃねぇか」

です。この手の年長者は語るみたいなアドバイスってほとんど役にたたなくて、目くらましみたいな余計な心配の種になったことのほうが私は多かったです。

「”この世はこんなもの”、みたいなこというヤツはニワカ」

ということを強くいいたいです(というニワカ勢に当然わたしも含まれます)。

スティーヴン・ホーキング博士は他力本願

ここでいう”他力本願”には悪い意味はありません。仏教用語としての他力本願です。


他力本願:自らの修行によって悟りを得るのではなく、阿弥陀仏の本願に頼って成仏することを意味している


生前の博士の身体状況からすると、明らかに他者に身をゆだねるということを受け入れざるを得ないと思います。不自由です。そういう状態でああいうユーモアにあふれた人格を保ちあれだけの業績を残したわけです。

博士は自分の死なんかも当然起こることとして受け入れていらっしゃったということですから、成仏つまり、仏になっていたのではないでしょうか。


自分でやってやる、できるんだという小賢しさを捨てて、一切を阿弥陀仏にお任せして、不平・不満を言わないという、これも仏教の形としてはアリなのかなと思います。

戦争の異常さ(わかっちゃいるけどやめられない)

世の中からすこしハズれたものの感慨として、最近感じている違和感は、いまだに人類が身内同士の最終的な問題解決手段として戦争を使っていることです。

すくなくとも国として体裁をとっている以上、両陣営にはいわゆる賢者的な人がいてもおかしくないと思うのですが、止まらないですね、戦争や戦闘。

一国の社会を安定して運営するために、普通の国では一般人の殺人や暴力は禁じられています。

これをいっこ上の概念に視点を移せば、地球の安定的な運営のためには、とうぜん戦争なんかしないほうがいいわけです。

わかっちゃいるけどやめられないっていうのは植木等さんのお父様によると仏教的な真理であるらしいですけど、いや、ぜんぶ滅ぶぞと思います。それは本望じゃないでしょと。

あと、私は中学生で暴力を離れて数十年たちますが、ニュースとかみてると結構、みんなコソコソと殴ってるじゃねぇかと呆れます。

地球で起きている覇権争いとその全容【NET TV ニュース】

いろいろ一段落したら…

まぁ、いつもの妄想です…

沖縄に移住して、塾とかで学問を若い人に教えながら、いい感じに枯れた老師みたいな人について空手を習いたいななんて思っています。(空手は琉球発祥)

ヨガは、いろいろなポーズが結構わたし的には最近つくられたものじゃないかという疑惑がでて以来、あまりやらなくなってしまいました。

へんてこりんなポーズをするヨガは「創られた伝統」

ただ、思想的、哲学的な部分はまだヨガとか仏教を参考にしているつもりです。

空手をやって強くなりたいとかはまったくないです。

武道をひとつ修めることにロマンを感じています。こどものころ空手を習いたいと父に言って反対されたきりになって、合気道もいろいろしんどいので。

映画:男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花

人間の性的な感覚の推移

いろいろな年代の主に男性と直接やネット経由で接した結果として、面白いことが観察できました。

まず、小中学生は男女のことにはほぼ疎く、小便、大便のことがすごく気になります。

韓国人の友達にも確認したのですが、小学生あたりだと学校の大便用の個室に入るのはためらわれるそうです。日本でもそうですが友人などにからかわれるからだと思います。私が小学生のときからそうでしたし、おそらく欧米でもそうなのではないかと憶測します。

塾で教えていたときのある中学生の女生徒は、誰がいつ授業中に便所に行ったかとか気になるし、自分が集団授業中に便所に行きたくなったのを非常なピンチと認識しているようでした。

これが、高校や大学あたりになるとストレートな男性の場合、ホモネタに異常に反応します。ゲーム友達の20代の人なんかは、我々おっさんプレイヤーたちにホモビデオをみせることに非常な快感を覚えているようでした。

南方熊楠はたしか江戸川乱歩あたりと男色の研究なんかをしていたようですが、私は性的な感覚は枯れるままにしてしまいました。

あなたは真面目すぎる

と、ここ10年の間、身内ではない2人の異なる40歳前後の女性から言われたわけですが、自分ではよくわからないんですね。

ハタから見ていて妙な意固地さがあるのだろうとは思います。

自分でももうすこし肩の力を抜くことができたら少しは生きるのが楽になるのだろうなぁという感慨があります。

ニーチェに感じる同族的なヤバさ

MMT(現代貨幣理論)について

私は経済はまったくのシロウトで、大学生のころ日経マグロウヒルの経済学の入門書とかを読んだことはありますけど、正直よくわからない感じでした。

いまMMTがホットな話題らしいですけど、まず、私の感想としては、

経済学における天動説と地動説とか言っているけど、そのレベルの基本的なことに関する合意もできてないって経済学は十分発展していないなと思いました。

国を身体にたとえると、血液にあたる貨幣に関する解釈がそんなあやふやなまま、国とかが動いてしまっているのなら、そりゃ安定しないわなと思います。

うまくやった人のなれのはて

という言葉で政治家の伊吹文明先生が、日本の企業の雇われ社長たちを評しているのをテレビで聞きました。

信念とか倫理観、ビジョンみたいな柱がないで、その場しのぎの最適化をくりかえした結果、人間的魅力がない存在になっている可能性はありますね。

善悪はよくて拮抗、とらわれないほうが短期的には結果を得られる

というのが私の正直な実感です。

私もいつごろからか善悪で動いてはいません、面倒なことになるかどうかだけが判断基準です。で、それがたまたま悪をさけたような言動が多いというだけです。

悪事はペイしない

まず、われわれがなんとなく感じる善悪という二項対立での概念自体が、今の人類の恣意的なモノであると思われます。昆虫由来の高等生命がいたとして、我々の倫理感とはかけ離れた原理で動いてそうですよね。

善悪はファッション:だが善をもとめずにはいられない

アメリカの大企業なんかの重役にサイコパスの人が結構いるなんて話を聞いたことがあります。そりゃ、倫理感がほぼなければ冷静に結果がでるような操作的な言動をできるでしょう。

この世をゲームにたとえるとします

この世をゲームに例えること自体の是非はいまは問わないものとします。

ふつうゲームにはある種の終了条件があることが多いのですが、まず往生してしまうのは、この世に終了条件や勝利条件というものがあるのかどうかさえ分からないという点です。

「あなたがこの世にいま存在する意味を(もしくは無意味であることを)あなた自身は知っていますか?」

この問いに即答できる人はたぶんいないのではないでしょうか。ここらへんは、アンドロイドなんかが現実的になれば、

「ワタシハ、ニンゲンにホウシすることをイトしてセイゾウサレマシタ」

みたいな答えをするのでしょう。

映画:バニラスカイ

私は自分がこの世に生まれた意味(や意図)みたいなものがあるのなら、それに従うかどうかは別にして、ぜひ知りたいものだと思っています。

私がいまある種の天命じゃないかと感じているのは、”母の世話をすること”です。たぶん私が17歳のときに父が亡くならなかったら、若いころアメリカへ渡っていたと思います。いま、老いて認知症になった母の世話をすることに父との暗黙の約束を果たしているというある種の満足感を感じています(タクシーでクソもらされたりとかいろいろしんどいものの)。

もうちょっといろいろ書けるつもりだったのですが、気が向いたら加筆します。

要領よく生きたい?

高校時代の友人で、まぁ親友といってもいいような人がいたんですが、あるとき、

「俺は要領よく生きたい」

みたいなことをその人が言ったんですね。

で、私はそのとき、

「コイツ、ろくな人間にならないだろうな」

と思ったんですね。なんでそう思ったのかは今は思い出せませんし、今なら要領よく生きたいというのもアリなんじゃないかと思っています。

私の性格なんですが、世の中的に、どこまで思ったことを言っていいものか分からないので、ならその場では言わないということが多いのですが、そういう感じだと人と言い争いになることはほぼないですね。それが良いのか悪いのかは別として。

行ったことがないのに懐かしい街

Bangkok 112

Bangkok 112というYoutubeのチャンネルのファンでたまに気が向くと観ているんですが、タイの色街には行ったことがないのになぜか懐かしい感じがします。

東洋で欧米の植民地にならなかった場所は日本、タイ、チベットその他など世界でもごくごく少ないですが、純粋なアジア人の女性の顔つきや身体のラインをみているとすごく心がなごみます。

年配者のためのコンピュータRPG入門

とか、どなたか書きませんかね…

若い方は当然のこととして楽しんでいるビデオゲームですが、プレイして楽しむにはそれなりのビデオゲームにおける文法や作法みたいなのを身に着ける必要があるというのがこのエントリの主張です。

正直いうと私も20代の10年間はプログラミングばかりしていて、まったくゲームをプレイしていませんでした。で、30代後半から各種ゲームのプレイを再開したんですが、まず焦ったのは”何がどう楽しいかわからなかった”んですね。

いまはいろいろなゲームジャンルにおける最前線の様子が分かってハッピーなゲームライフを送れています。

皇族の服装は和装にもどすのはどうでしょう

令和になって、皇族の方々が出席していらっしゃるちょっとした式典などの映像を見る機会があったのですが、洋装なわけです。

洋装つまり、洋もの、つまり、西洋由来の衣装です。

で、日本の象徴たる天皇家の方たちのことですから、世界の見る目を意識して見た目の”戦闘力”みたいなのは非常に重要です。で、洋装はやっぱりマネというか、日本人にはこなれた感じがなく、西洋人が見栄えがするようになっている。私は自分でもスーツを着たりしてもなんか借り物みたいな感じが強いです。ここは戦闘力という観点から、雛人形みたいな恰好でいいのではないでしょうか。

お荷物的存在の日本人としての感想です。