信仰それじたいに意味がある

私は残念ながら信仰はもちあわせていません。いろいろ考えすぎる性格が災いしているとおもいます。バガバットギーターで述べられているヨガにおける修行方法の分類で敬愛のバクティ・ヨーガや無私のカルマ・ヨガなどあるなかで、理屈を突き詰めるニャーナ・ヨーガを自分では気が付かずにやっている状態だと自己分析します。

聖者と言われている人なんかが、信仰の対象に敬愛をささげるバクティ・ヨーガは非常に価値があるものだと言っていたのを文献とかで読んでいたんですが、正直なぜバクティ・ヨーガがそれほど重要なのかが理解できませんでした。

結論から言うと、バクティ・ヨーガが重要なのは自分の(論理的思考とかでなく)感情エネルギーを信仰対象に注ぐことで精神が安定するからだなといま気が付きました。敬愛をささげる対象は神仏とか歴史上の偉人とか社会的にほぼ問題のない対象ならなんでも良いのですが、信仰心それ自体が心の平和を促進する作用があります。

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