新約聖書(福音書)が、おおよそ本当のことという前提で書きます。
そうすると、キリストは自分がああいう最後を迎えるのはあらかじめわかっていたし、それは弟子の誰が裏切るからなのかというのもあらかじめわかっていました。また、誰が土壇場でブルッって「俺はキリストの弟子じゃねぇっす」って言い逃れするかもわかっていたことになります。
すべてわかったうえで(神の子ですから…)、ああいうことをしたわけです。
私が新約聖書を読んでまず感じたのは、
「そりゃ、そんな振る舞いをしたら死ぬことになるよ…」
です。
私の好きな国際暗黒プロデューサーの康芳夫さんの言葉に、
「生きることそれ自体がアート」
というものがありますが、キリストの人生は私も信者ではないですが、一級品のアートだと認めざるを得ません。