どっかで聞いた話ですので、真偽のほどはわかりません。
ただ、武士の完成された心境とはそういうものではないかと納得できそうな心境です。
ある武士が切腹をいいつかって、明日はいよいよ切腹だというとき、その武士は、
「明日は大切なお仕事があるので早めに寝よう…」
そういって、床につくとグーグーといびきをかいて眠ってしまったそうです。
葉隠という江戸時代に書かれた武士としての心構えには、
「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」
なんてあります。
wikipediaより
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
葉隠の記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、ただとある目的のためには死を厭わないとすることを武士道精神と解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。
しかしながら、そのような解釈は全くの見当違いである。葉隠の真意は、自己を中心とした利害に基づく判断からの行動は、結局のところ誤った行動となってしまう。そのため、本当に最良の行動ができる心境とは、自己を捨てたところ、すなわち自身が死んだ身であるという心境からの判断であり、そのような心境から得られる判断が、自分も含めた全体にとって最良の結果を生むというところにある。
私も自分の死を逍遥と受け入れたいものだと願っていますが、なかなかそうは簡単ではないだろうと思っています。
私の好きな仏教者の一休さんは、死に際して、
「死にとうない」と言ったという話もあります。
その時代に87歳なら、もうええやろ、あんた仏教者なんやしという気もしますが、こういうことを言うところがまた一休さんらしくて私は好きです。
自分だけ良くなろうとしても、たぶんうまくいかない
利他ではなく利全(利善)
“完成された武士の心境” への2件の返信