知識は生き物で世話をしないと枯れてしまう

まず、私の事例からお話しすると、数十年レベルで理科知識の手入れを怠ったために、

「湿度100%って水の中かな?」

というくらい忘れてしまいました。一度は理解したことがあるので理科の教科書を読めばすぐに思い出すのですが、ほったらかしで手入れをしないと、このレベルのことが起こるんですね。

なにしろ中学高校あたりの勉強内容を「やらされている仕事」という受け止め方をしていたのが失敗だったなと思います。特に中学は義務教育でせっかく国が教科書やらなんやら無料でサポートしてくれているのにもったいないことをしたと思っています。

私の友人のお父さんはある大きな会社の社長をやっておられた方ですが、大学は早稲田大学を卒業しておられるわけです。そうすると当然、入試を受けた時点で英語は仮定法などを含めて、かなりの読解力が一時的には身についていたはずですが、仕事を引退された後、最近興味を持って中学英語の教科書を読んでみたら、he, his, him, his レベルからもうすっかり忘れていたという事です。

また総理大臣が国会で「いいですか!私は立法府の長ですよ!」なんてことを言ってしまいますから、行政府の長ですら油断していると自分の職業分野でさえ知識がしおれてしまっているということが起こります。

また、学問の知識はつねに進歩しているので最新情報という栄養を与えてあげる必要もあります。聖徳太子が厩戸王 (うまやどのおう)としても教科書に記載されているなどですね。

数学は特異な学問で2000年以上前に証明された定理がくつがえるなんてことは歴史上いまだかつて起こったことがないですが、それでも、数学としてとらえられる領域がひろがったり、素因数分解が暗号技術に使われて非常にホットな領域になったり、日々進歩変化しているはずです。

そういうわけで、私は社会科などは中学レベルからもういちど教科書を買って勉強しようとしています。国語、数学、理科、社会、英語などの中学生レベルを本当に自分の身に引きつけた有機的知識としていつでも利用可能なツールとして身につけたならば、いまの一般社会ではかなりの”インテリ”として遇されると本気で思っています。

 




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