ヨガの教師に私が求めるもの

まず、例えで話します。

私が誰かにアインシュタインの相対性理論を金をとって教えるとします。
ここで、私が相対性理論を理解したという自覚がないということは、商売としてありえますか?

物事の理解には、その人なりの方法や、形式、深さがあると思うので、この理解の仕方じゃなきゃおかしいということは言いません。しかし、生徒から質問がでればその人なりの理解のしかたで質問に答えることになるでしょうし、その人の理解のしかたでは答えようがないのなら、正直にそう生徒につげて、どういう方向で勉強すればいいのかのアドバイスなりをすればいいでしょう。

さて、ヨガに話は戻って、心のコントロール術や生き方としてのヨガを教えるにあたり(とりあえずハタヨガなんかの体操方面はおいておきます)、ある程度自分なりにサマーディに達したという自覚がないのに、人から金とって教えるってありえますか?

ヨーガスートラによればサマーディにも深さの差があるそうですが、私の実感では、水泳に例えると、なんとなく25m泳げるくらいで、人から金とって教えている人が多すぎます。

出世が早いよと思います。

サマーディにある程度達しているという自覚があって、さらにそこから、それをいかに伝えるかという方法論をまた別に学ぶ必要があるでしょう。水泳のオリンピック選手が名コーチとは必ずしも言えないのと同じです。

・男性のヨガ教師が教え子の女性に手を出して、ポイ捨て。
・ヨガ教師の多くが精神的に不安定だと、同僚のヨガ教師が感じる。

ヨガの先生うんぬんというより、社会人としてだって成立してんのかよと思います。

ヨガのすそ野を広げるためには多少未熟な先生にもチャンスを与えるべきという考えもあるでしょうが、私は相対性理論が間違って伝えられるくらいなら、そんなチャンスはつぶしていくべきだと思います。




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