プラスマイナス・ゼロ

ある人が、自分の格が下がるようなこととか、人間として尊敬できないようなこと、他者を虐げるような色々な悪をやって、金というパワーを膨大な量あつめたとします。

私がよく見るパターンは、今度は慈善事業とか、奨学金とかいろいろな、いわゆる善の方向に金を使いだすことです。

「ぶっちゃけ、こいつバカだろ」と私は思います。

プラスマイナス・ゼロだろと。

でも、人の一生はそんなもんなのかなとも思います。

悪癖

ある人が悪癖を持っているとします。

この人に、「その悪癖をやめろ」と百万回言ったって治るはずがありません。

理性のある人間なら、それが悪いことだと本人が一番知っているからです。

法律とか、やめなかったら殴るとか、強制力を持って悪癖をやめさせることに一時的に成功したように見えても、それは治ったのではなく、パワーのバランス上、やめているように見えるだけです。

その悪癖は必ず、それが発現する原因があるはずで、それを取り除かない限り治らないのです。

その悪癖を発現させようとする、原因のパワーは思わぬところで、噴出します。




映画:バニラスカイ

映画の本論はおいといて、仮想人格である、カート・ラッセル演じるカウンセラーがでてくるんですが、本人は自分が仮想人格であると気づいていない点が興味深いです。

ゲームで言うNPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)もこんなことになるかもしれません。

映画の終盤で、現実の人ではないと疑われて、

「俺は現実だよ~。俺には娘が二人いて。」

「じゃ、娘たちの名前は?」

「…」

我々も、この現実を確固たるものと思って、自分はある。われ思うゆえにわれありなんつってますが、

「じゃ、あなたが生きる目的は?」

なんて、きわどい質問がくると返答に窮します。その意味で、カート・ラッセルと同様、なにもわかっちゃいない可能性はあります。

ヨガの真理先生への思い

2013年の6月にネットで近所のスタジオを検索してYoga Sala PREMALに通いだしました。

2年前ですね。客観的にみて、44歳のおっさんがいきなりヨガ教えてって来たら、かなり用心すると思います(笑)。どうかんがえても、なんか怪しいだろと(笑)

真理先生は如才なく私を遇してくれて、多い時は週3回くらい通っていました。

で、ヨガに魅了されました。レッスンの後に、なんかいい気持になるのです。
(インスラクターが全員、妙齢の女性というのもあるのかなとは思います)

そうこうしているうちに、TTC(Teacher Training Course)に参加しないかとお誘いを受けたのが、2013年の暮れですね。

正直言って、少し金策臭いなと思いました。ヨガ歴6か月くらいで、Teacherっておかしいだろと。私は、Teacherとかセンセイという言葉にすこし過剰に反応しすぎるのかもしれません。

で、TTCは一度も休まずに参加しました。

で、お約束のように真理先生に恋心が芽生えたりして、でも、先生にはロッドさんという立派な旦那さんがいるので、3日くらい死んだようになって、必死に恋心を殺しました。

で、自分としては、なんとなく身内みたいな感じの心の場所に真理先生がいて、身内ならではの先生のサザエさんっぷりに、いろいろとした心のもやもやとかでてきたりいろいろありました。

でも今では、総じて、私は真理先生をヨガの先生として尊敬しています。




自分は世間が作ってくれた作品

自分と直接関係ある人や物事含め、世界全体、宇宙全体によって自分は作られた作品だなぁという感慨があります。

作品というには、ちょっとぱっとしなくて申し訳ない気もしますが。

自分は生まれた国や周りの人など比較的環境に恵まれていたりして、今まで犯罪歴もなくすごしてこれたわけですが、これが、まったく違った所に生まれていたら、自分という作品はいまのようにはなっていなかったわけで、つくづく感慨深いです。

千年に一人のクズ

パリで自爆テロをせざるを得ないような作品にしあがってしまった人には、なんともいえない思いが湧きます。

もしも息子ができたら

当然、親としていろいろ教えなければならないでしょう、主にこの世でのサバイバル術です。

私が特に力を入れたいのは、いわゆる負けた時の処理の仕方です。

まぁ、敗戦処理ですね。
私は今でも、合気道で一番重要な技は受け身だと思っています。

できるだけ、私が負ける姿を数多く見せて、それを私がどうさばくのかを見せたいです。

私の実感では人生は勝ち負けつけるものではありませんが、そういう思考様式を取れば、負け8割、勝ち2割くらいだろうと思っています。

勝ちは勝ちで、勝って兜のおをしめよというようにいろいろ難しいのですが、勝ったというパワーで多少雑な処理をしてもどうにかなるのかなと思っています。

と、こんな妄想をしておいてなんですが、私には子孫を残したいという欲望が一度も沸いたことがありません。この状態がいいのか悪いのかよくわかりません。

もしかしたら、女性を本気で愛したことがないのかもしれません。




映画:男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花

まぁ、いわゆるトラさんです。

寅さんは、テキヤです。

やくざにはテキヤ系と博徒系があって、作品中でも、アニキ、堅気、兄さんなど、それっぽい言葉が出てくるし、弟分の蛾次郎さんが寅さんのためにカップルにドケこのやろう的言動を取ったりすることからも明らかなように、寅さんはドロップアウト、やくざです。

私は寅さん映画はやっぱり大人の童話だなぁと思いました。

私が思い描く幸せの1パターンとしては、劇中にあるような沖縄の田舎町で、浅丘ルリ子さん扮するリリーのような粋な人と、一週間でもああいう暮らしをすることです。その場で死んでも本望です。

寅さんを演じた渥美清さんも、素の時は、昔の芸人だけあって、ただのニコニコ野郎じゃなかったというのも好感を持っています。 まぁ、影がある男だったらしいです。

さくらを演じた倍賞千恵子さんも、健気で、たまらなく美しいなと思いました。

聖者を拷問したらどうなるか

仏教やヨガにはまって以来の思考実験の1つのテーマは、悟りを開いた聖者を拷問したらどうなるかというものでした。

結論としては、人という形態をとっている以上、破壊可能というものです。

なんでこんな簡単なことがわからなかったのか不思議です。

どんだけ超人を想定していたんだよという笑いが出ます。

例えば、シュワルツェネッガーやジェイソン・ステイサムとか、超マッチョな肉体を持つ人でも、銃で撃たれたり、トラに襲われれば死にます。

ある一人の聖者を隔離環境において、国家規模のプロジェクトでも組まれたら、その精神は堕落もすれば、破壊も可能でしょう。単純なパワーの問題です。

映画のRONINで、ロバートデニーロが、拷問にあったって俺は口わらねぇとかほざいてるニワカに、「いや誰にでも限界はある」と淡々と言っていたのが印象的でした。




映画:コンスタンティン

10年以上、映画から遠ざかっていたんですが、最近、息抜きにまた観始めました。

主に、昔見て印象に残っているものを再び見ています。

で、コンスタンティンですが、キアヌ・リーブスが主役です。

キアヌは、この世界の他に地獄と天国、神と悪魔がいるのを知っています。そういうのが見えてしまう人という設定です。

で、エクソシズムを生業としています。若い頃、自分の見えるという能力に苦しんで自殺を図り、公式には2分間死んだことがあるのです。

その2分間が無限とも思えるほどのひどい地獄の有り様を体験して、自殺は地獄行きというルールからなんとか免れたいと思っています。

ここで、興味深いのはキアヌは神の存在は知っています。しかし帰依していません。

「神はガキだ」

と彼は言います。

このセリフは私にもかなり響きます。

私は神がいるのか知りませんが、いるとしたら、「ガキが作ったような世界作りやがって」という怒りを感じると思います。

ただ良寛さんなんかの例もあるように、ガキのような振る舞いをしている人が本当にガキなのか、それともすべてを分かった上でやっているという可能性もあることが興味深いです。





人にものを教えるということ

人にものを教える、とくにお金をもらって教えるということは、その対象分野において、生徒の10倍から100倍くらいの余力があって初めて成立するものではないでしょうか。

余力があるのは、まだ単にスタート地点に立っているというだけで、そこに、どう伝えるのかという一群のスキルセットがまた別に必要になるはずです。