逗子までウォーキング

同僚のKさんといっしょに、逗子までウォーキングをしました。

朝9時に出発して、帰りは夕方になってました。(京急逗子駅から電車でもどりました。)

4時間とちょっと歩いたことになるでしょうか。

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合法ドラッグ、注入!

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哀愁がただよっちゃってますね(笑)

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葉山の御用邸

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遠くに見えるのは江の島です。

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汐入駅ちかくの、ダイエーで一服。



酒の効用

午前3時に目が覚めて、塾の生徒さんの数学の宿題の添削をおえて、自分の数学への勘がもどってきたことを感じて、それがうれしくて、1~2週間ぶりに酒を朝からキめてみました。

日本文化は酒に寛容であると同時に、非常に厳しい一面をもつということを最近感じていますが、酒は仏教でも釈迦が「酒はやめとけ」と言ったので、禁じている一面もあるいっぽう、日本仏教では、あえて、酒の効用をみとめて智慧が湧きいずる「般若湯(はんにゃとう)」ということで、許す一面もあります。

私は、酒とのつきあいがながいので、自称「酒初段」を自認しております。

なにをもって、初段なのかといえば、酒を飲んで、人前で吐くことはもうありません、また、酒を飲んで、気が大きくなって、人と口論や喧嘩になったことは、生まれてから一度もありません。

ここらへんが、初段を自分に許している理由です。

数か月前も、ネットのゲーム友達と、テレビ電話越しで酒を酌み交わして、とことん絡まれましたが、防戦一方に徹して、切れて口論となることはありませんでした。

日本仏教には詳しくないのでよくわかりませんが、酒の効用を日本仏教が認めているのは、「酒によってよけいなはからいを捨てることができる」ことが理由なのではないかと考えます。

酒が入ってなければ、気恥かしくて言えないような、友人、知人、師匠、夫、妻、子供、親類縁者への感謝の気持ちである「ありがとう」ということばを私は、素直に言えるようになります。

私は、同じ人間同士であっても、「言葉として伝えなければ、伝わらない」という気づきを得ています。

言わなくても、それぐらいわかるだろうという気持ちでいた人たちが、どんな結末を迎えたか数多く見聞きしています。

というわけで、ヨガのMari先生には、向ける顔がありませんが、そんなこんなで、私の酒道の修業はつづきます…。




いい動画を紹介してもらいました

剣道ですが、合気道にも通じるのであろうなと想像しました。

「勝ちたい」という気持ちを捨てて、無心になることで新境地を切り開いた方のドキュメンタリーです。

こういう修業をしている人がいるというだけでとても励みになりました。

私も合気道に精進します。




英語をそのままの語順で理解する

I read the book I (had) bought yesterday.

私は、私が昨日買った本を読んだ。

この英文を読んで理解するとき、一度、この日本語のような語順に直してから理解しているとしたら、英文を語順の通りに理解できていません。

理想は英語を読んで英語のまま理解することですが、その一歩手前の段階として、逐語訳のまま理解する方法があります。

私は/読んだ(もしくは)読む/その本を/(その本は)私が/買った/昨日。

これは、20年以上前に中学か高校の頃、私がSIM式教材 で身に着けた方法です。

今となっては語順をいちいち変えたりして理解していたら、読む速度が恐ろしく遅くなるのは当たり前のことと感じますが、当時は目からうろこが落ちる思いでした。そして実際に英文を読むのが速くなりました。

考えてみれば当たり前のことですが、英語のネイティブスピーカーは英語を一つの流れとしてそのまま、理解します。つまり、英文を1度、左から右へ読んで理解できているわけです。

また、リスニングにおいては語順を日本語の順番に変えて理解するのは速度的にほぼ無理なのではないでしょうか。




英単語を聴いたら、日本語訳ではなく概念を思い浮かべる

我々日本語を話す人は「りんご」と聞いたら、心にリンゴの概念が浮かぶと思います。人によっては青りんごだったりするけど、やはり、その人なりのリンゴの概念が浮かぶと思うのです。

たとえば、りんごの味とか、形、色などや、果物であるなどということです。

英語を習い始めて間もないと、"an apple"と聞くと、まず「リンゴ」という日本語の単語(もしくは音)が頭に浮かび、次に「リンゴの概念」が頭に浮かぶという順番になると思います

英単語への理解がすすむと、それが、"an apple"→「リンゴの概念」という事になると思います。つまり、日本語を飛ばして英語で考える第一歩ということです。

そして、日本語に翻訳するときに限って、「この概念は日本語では何て言ったっけな、あぁ、”りんご”だ」という思考過程になるわけです。




だれもが持っている一生もの

最近、親しい友人から、中途半端に安いものを買って使い潰していくより、一度、高いが最高級の物を買って、それをメンテナンスしながら、長い間、できれば一生使っていくのが良いという考えを教えてもらって、ほぼ、腑に落ちかかっています。

その友人は、時計、財布、靴などを自分の気に入った最高級の物を買って、大切に大切にメンテナンスしています。

とはいえ、まぁ、物によっては、たとえばPCなんかは買い換えていく運命ですね。

さて、表題の「だれもが持っている一生もの」ですが、勘のいい人はピンときたでしょうが、我々の身体と心です。

これは、どんな生き物にとっても一生ものです。

私も、身体と心は使い捨てにできないので、大切にしたいと思っています。




英単語暗記の方法の1つ長崎玄弥方式

20年以上前に買った長崎玄弥さんの「奇跡の英単語」で紹介されている単語暗記の方法です。

それは、「犬」←→”dog”というように、「犬」と聞いた瞬間に”dog”が頭に浮かぶように脳をトレーニングするというものです。(当然”dog”と聞いたら「犬」)

この時かかる時間を1秒以下にします。まさに一瞬でできるようにします。

こうすると何が起きるかというと、私はこの方法で覚えた単語や熟語が20年以上たったいまも脳に残っています。

“a sly fox”←→「ずるいキツネ」
“a moody bear”←→「不機嫌なクマ」
“an aristocrat”←→「貴族」

などなど、よくまだ脳に残っているもんだなと思いますが、不思議なことですが、長崎玄弥方式の効果は「私には」ありました。

じつは、私はもうこの暗記方法を全面的にはとっていません。いろいろな方法で、英単語を覚えています。いつか紹介しようと思います。

やるやる詐欺の念仏

自分で言うのもなんですが、私は以前は、自分に厳しい男だったと思います。

一例ですが、高校時代のマラソン大会で、「よし俺は全力を出して走ろう」という自分ルールを設定しました。

私はどちらかというと短距離ランナーなので結果はたぶん、100位くらいで、まったく私が全力で走っているかなんで誰も気にしていない中で、私はゴールしました。

ゴール後、地面にそのまま倒れた私は、あまりに全力で走ったために、肛門の括約筋がゆるみっぱなしになり、尻に穴がぽっかり開いた状態がしばらく続きました。
その時、直腸に便があったのならば、恐ろしい大惨事になっていたことでしょう。

また、いまだに英検一級取得を狙っているのも、20年以上前に、友達の前で「俺は英検1級を取る!」と宣言したからです。

そんな自分の吐く言葉や自分ルール、約束を大切にしていた私がなぜ、「やるやる詐欺の念仏」というありがたくないアダ名をゲーム友達からいただいたかといえば、理由があります。

まず、自分に厳しすぎたのも原因で30代で大病した後に、40代の私はいままでとは違う感じで行ってみようと思っていました。また、釈迦も何事もやりすぎはよくないといっているので、「あまりにも自分に厳しいのはいかがなものか」と思って、逆をやってみたわけです。

10年やめていたタバコを吸い出し、周囲にやめますやめますと言っては、また吸ってみたり。
Eve Onlineで、「俺、空母のりますわ~」といって、小型船のスキルを取りに行ったり。

ただ、決定的に他人に迷惑をかけるようなことはしなかったはずです。

とはいうものの、この「迷惑を掛けない」という言葉もあいまいで。私は今は、「他人に迷惑をいっさい掛けずに生きていくのは無理」という気づきを得ていますので、まぁ、ほどほどの迷惑はかけたでしょう。(そうは言っても人間の性はなかなか変えられずに「ヨガのTTCの授業は決して欠席しないようにしよう」という自分ルールをたてて実行してしまいました。)

で、いろいろあって、私の私生活を良く知る、私が信頼している人から「自分の言葉は大切にした方が良い」というアドバイスをいただいたので、これからは、自分の言葉や自分ルールをもうすこし大切にしようという気になりました。

そういうわけで、正直に言うと、Eve Onlineはやめるかもしれません。




命の価値

「命の価値は平等である」という言明を公理とするとします。

すると、私に浮かぶ疑問は「じゃぁ、自分の健康のためにヨーグルトを食べるって、腸内の悪玉菌を狙って、大量虐殺することだわな」ということです。

そして、「命の価値は平等である」という公理から、「腸内の悪玉菌を大量虐殺することは、動植物などのありとあらゆる生き物を大量虐殺することと同じである」という定理が導き出されます。

この「同じ」という言葉が難しいところなんですが、あえて、突き詰めないことにします。

この疑問をシータ先生にお尋ねしたところ、

「生きるってそういうこと」

というお言葉をいただいて、納得しました。