プータロウの師匠

プータロウ である私がプータローの師匠として尊敬しているのが、博物学者、生物学者、民俗学者である南方熊楠 (1867-1941)さんです。

師匠の面白エピソードをいくつか、Wikipediaから抜粋すると。

18言語を解し、「歩く百科事典」と呼ばれていた。

・熊楠の手による論文はきちんとした起承転結がなく、結論らしき部分がないまま突然終わってしまうこともあった。また、扱っている話題が飛び飛びに飛躍し、隣人の悪口などまったく関連のない話題が突然割り込んでくることもあった。さらに、猥談が挟み込まれることも多かった。

大英博物館の図書館で働いていて、閲覧者に馬鹿にされた熊楠は大勢の前で頭突きを喰らわせ3か月の入館禁止となった。1年後に再度同じ者を殴打したため博物館から追放されたが、学才を惜しむ有力イギリス人たちから嘆願書が出され復職した

生涯定職に就かなかったためにろくに収入がなく、父の遺産や造り酒屋として成功していた弟・常楠の援助に頼りっきりだった。常楠は、奇行が多い上に何かにつけて自分に援助を求めてくる兄を快く思っておらず、研究所設立のため資金集めをしていたときに遺産相続の問題で衝突して以降、生涯絶縁状態になった。熊楠が危篤の際には電報を受けて駆けつけたが、臨終には間に合わなかった。

1962年(昭和37年)5月、白浜町を行幸した昭和天皇は御宿所の屋上から神島を眺めて御製雨にけぶる 神島を見て 紀伊の国の 生みし南方熊楠を思ふ」を詠んでいる。これは、昭和天皇が民間人を詠んだ最初の歌であった

青空文庫が公開している南方熊楠の作品




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