スキル Drone Interfacing を上げる意味

レベル1上がるごとに、ドローンの攻撃力が20%アップします。

ということは、同時に扱えるドローンの数はたしか5なので、

20% * 5 = 100%

つまり、全体で100%の攻撃力アップ

ということは、つまり、攻撃力はそのままで、扱えるドローンが1機増えて、6機のドローンを扱えるという意味にもとれます。

で、Lv5にすると、20%*5*5=500%

つまり、全部で10機のドローンを扱えるのと同じことになります。

で、ここからがミソで、以前のEve Onlineでは、実際に扱えるドローンの数が

増えるというスキルだったそうです。Drone Interfacingという名前にその痕跡が見て取れます。




真言吐きのKさん

私がNACHOアライアンスに在籍していたころ、

私が心の中で「真言吐きのKさん」と呼んでいた方がおられました。

思ったことをそのまま口にしているように感じられるからです。

Kさんのことを、困った人だと思う人もいるかもしれませんが、

Kさんは私の恩人の一人です。

Kさんが、

「念仏さん、そんだけ英語話せるなら、教えられるんじゃない?」

と私に言ってくれたおかげで、現在の職を得ました。

私は深く感謝しています。




釈迦の生まれ変わりというギャグ

私のように、すこしだけ仏教やヨガをかじったものにとって、

「私は釈迦の生まれ変わりです」

という人を見聞きすると、頬がゆるまずにはおれません。

釈迦が仏陀たる定義は、ヨガ、仏教におけるの輪廻転生理論において、

輪廻転生からの解脱つまり、もう生まれ変わらないからこそ仏陀なわけで、
これは矛盾であり最高にツボをついたギャグとしか思えません。
たしか釈迦も明確に

「自分は解脱したから後有を受けない」

という旨の発言をしていたはずです。

歌うように、ダンスをするように、旅をするように生きる

「歌うように、ダンスをするように、旅をするように生きる」

この言葉を私のヨガの師匠のブログで初めて読んだとき、正直、

「なにすかしてんだ、この女」

と思ってしまいました。

しかし、最近、公園墓地を散歩中に、思ったのですが、歌を歌う、ダンスをするということは、自由に楽しく歌ったり、身体を動かしているようでいて、調子はずれにならない、ステップを外さない、つまり、人生で人の道を外れずにいながら、なおかつ、自由に楽しく生きるということなのかと思い至りました。

”旅をするように生きる”部分は、私の修業不足でまだよくわかりません。




真言:Let it be

先日、公園墓地で散歩しながら、Let it beは真言だなと腑に落ちました。

ここで言っておかなければならないのは、私はニワカ仏教マニアなので、仏教的に真言というものがどういうものか知りません。ただ、”まことのことば”かなと思っているだけです。

仏教で、はからいを捨てるという考え方があるようですが、人ごみで、屁をしたくなったからといって、はからいを
せずに、放屁するわけにはいきません。だから、現代人として生きる以上、
最低限のはからいは必要になります。

もし、ある人があるかわいそうな人を救ったとして、その結果として、ほかのだれかが
可哀そうな状態になるかもしれません。

Let it be とはそういうことです。

この世は、弱肉強食というルールで動いています。

しかし、だれかがだれかを救いたいという思いも"Let it be"で邪魔する必要もなく、また邪魔しようとする人にも"Let it be"が当てはまり、限りなくこの"Let it be"の連鎖は続きます。

すべては、天命です。




ジルボルトテイラー博士に起こったこと

ジルボルトテイラー:パワフルな洞察の発作

2014年3月30日TTC宿題 ジル・ボルト・テイラー博士の講演

 まず、私がもった第一の感想は「やがて悟り(サマーディ)も西洋科学的に解明されるときがくるのかもしれない」というものでした。

 博士は自身の身に起こった脳卒中(左脳の脳血管障害)で、強制的に悟りの境地を体感したわけですが、苦しんだ博士には悪いですがこういう西洋科学を代表するような知性の人が悟り体験を図らずも得て、それを彼女自身の言葉つまり科学の言葉で世界の人に伝えるということは非常に貴重なことだと思いました。いくらヨガの達人が悟りというものがあると伝えても、悲しいかな、この西洋科学偏重の世の中では、悟りの存在さえ疑う人が多くいると思います。

 西洋科学的に悟りが解明されていく過程では、西洋科学の側からヨガへ多大な貢献が期待できると思います。西洋的なものと東洋的なものの融合こそこれから我々ヨギーが目指すべきものではないかと思っております。

 具体的な講演内容では、右脳はパラレル・コンピュータで左脳はシリアル・コンピュータであるという説明が興味深かったです。右脳が”今”を超並列的にとらえ、それを左脳が過去・現在・未来の一本道の流れに整理する。講演では詳しく語られませんでしたが、博士の本では、一度壊れてしまった右脳と左脳の関係を再構築していく過程が語られているらしく、買って読んでみたいとおもいました。

 今をとらえる右脳だけでは、やはり、生きていくうえで支障がでることから左脳が存在するのでしょうし、右脳ってスバラシイ!ということだけではなく、いかに右脳と左脳のバランスをとるかということが大切なのだと思います。ただし、現代人は計画だった行動がメインになっておりますので、いまは左脳ばかり使うことが多いのかなと思いました。右脳の活性化ということでは、私は左利きという利点があるので、他の人よりも、右脳を使っているのかなと思います。

 私は、博士も言及していた、不思議な多幸感を最近よく日々の生活の中で感じることが多いです。これがヨガのおかげかわかりませんが、非常にハッピーな毎日を送っています。

 また、最近やっと、ヨガは体が柔らかいほうが偉いといった我見がとれてきました。より精神的にリラックスできるようにヨガにとりくんでいます。また呼吸の重要性も非常に身に染みてわかってきました。

 博士はどうやら、講演ができるほどに回復されたようですが、できれば彼女がいまもサマーディの状態になることができればいいなと思っております。彼女のような人はぜひ、ヨガや宗教界のほうからアプローチしてさまざまな対談などが行わればいいのにと思います。彼女のこれからの活躍を祈ってこの感想を終えます。




一休宗純

  • 釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな

おもしろい人ですね。友達になりたかったような。

公園墓地は私のスピリチュアル・スポット?

私がなぜ、これほど、公園墓地での散歩を好むのか、すこし、頭に浮かんだことを書きます。

公園墓地は、私にとって、いま流行りのスピリチュアル・スポットなのではないかと思いました。

朝、公園墓地へ散歩へ行くと、あった人たちは、だれからともなく「おはようございます」と挨拶します。非常にすがすがしいです。

朝の公園墓地の散歩で、顔見知りになった、ワンコや飼い主の方も結構います。

今朝、なんとなく、「ここって、スピリチュアル・スポット?」と思いました。

徳の高い人

私の使える言葉は、仏教とヨガの言葉なので、それを使って、私が考える「徳の高い人」の定義をします。将棋の駒師Tさんと話していて、思いついたことです。

ヨガの輪廻転生仮説を信じると仮定した場合の話です。

短く言うと、徳が高いとは、カルマが減じられている状態の人だとわかりました。
因果応報の応報をそれなりに受けてカルマが解消されて、そこからさらに新たなカルマをつくらなかったために、
因果がなくなった人が徳の高い人です。

ハリ・オーム・タットサット




自分に合っているヨガ

以下の文章は、私がヨガのティーチャートレーニングコース(TTC)での宿題の答えとして書いたものです。

2014年2月17日TTC宿題 自分に合っているヨガ

愛と献身のバクティ・ヨーガ、無私の行動のカルマ・ヨーガ、瞑想のラージャ・ヨーガ、知性と実践のギヤーナ・ヨーガ。この中で自分に合っているものは何かを考えます。

まず、バクティ・ヨーガですが、私には信仰している宗教はありません。また、まだ本当の意味で、この身を奉げるような師匠と呼べるような方にもであっていません。したがって、愛慕の念をささげたり、献身する対象をまだ見つけておりません。よってバクティ・ヨーガは私にはあまり向いていないと思います。ただ、しいて言えば、釈迦に憧れをもっています。そして、完全に愛慕と献身をするというには、あまりにも昔の人すぎてその言行が正確にはわからず、とまどっているという状態です。

つぎにカルマ・ヨーガですが、無私の行動というのは、結構気に入っている行動規範です。無私の行動には私に跳ね返ってくるカルマがないということに、いつのころからかは分かりませんが、なんとなく気がついていました。若いころ私はフリーソフトウェアというものを書いて、インターネットで配っていました。フリーソフトウェアとは無料でだれでも利用できて、また誰かがそれを書き直したりして再度、公開してもいいというものです。見返りは期待しておりませんでした。最初はどうだこんなソフトウェアを書ける俺はすごいだろうという自分の能力を誇示したい気持ちもあったような気がしますが、世の中には常に自分より才能がある人がいるということに気が付いてからは、淡々と必要なソフトウェアを書いて公開するということをしていたように思います。もちろん、こんな酷いソフトウェアを書いている奴がいるという酷評を受ける可能性もありましたが、気になりませんでした。
そういうわけで、カルマ・ヨーガはまずまず私にあったヨーガだといえると思います。

その次は瞑想のラージャ・ヨーガですが、私はこのヨーガに対して憧れをもっています。瞑想により悟りを得た釈迦に対するあこがれがあるからです。ただし瞑想が自分に合った修業方法なのかは正直まだよくわかりません。したがって、ラージャ・ヨーガが自分に向いているかどうかはまだわからないという状態ですが、ラージャ・ヨーガは引き続き実践していきたいと思っております。先日のTTCで真理先生がおっしゃっていた、瞑想は難しいと思ってやめてしまう人が多いということや、それをヘッドスタンドポーズでさえあきらめてしまう人がいるという例えをだされていましたが、なるほどそういうものかと思い、瞑想の修業を続けようと思いました。

最後は、ギヤーナ・ヨーガですが、私は自分に合っているのはこのヨーガだと思います。私はものの理屈を考えるのが好きです。大学では電気工学を勉強した日本では理系といわれる種類の人間だとおもいます。その一方で、心の問題にも非常に興味があり、ヨガを始める前には仏教を多少かじってみたりしていました。

私はよく冗談めかして、自分の信じている宗教は科学だと人にいったりします。科学もある仮説を信じるか信じないかという問題がでてくるからです。そして、真理先生やヨガの本を通して、ヨガも経験と検証の繰り返しによって長い歴史の中で積み重ねられた理論体系つまり科学だということを学びました。私はこの心と体と世界とのかかわりについての科学を学びたいと強く思っています。そして、自分の心と体と世界とのかかわりについて注意深く観察し、なるほどこれは確かに正しいという確信を深めながら、勉強を進めていきたいと思っております。

いまはギヤーナ・ヨーガの実践者であると知った、南インドの聖者ラマナ・マハルシに興味があります。

ラマナ・マハルシは「私は誰か?」という問いかけによる実践的な真我(アートマン)の探求を推奨したということです。

私は若いころ、非常に「俺が俺が」という意識を持て余していました。恥をかくのを非常に嫌いました。プライドも変に高かったのでしょう。今年45歳になるのですが、いろいろあって、この年になり、初めて、この「俺様」という心持ちを捨てられかけている気がします。

また、よく考えてみると、結局、仏教をかじってみたり、ヨガを始めたのは、このやっかいな「俺様」をどうにかしなければ、生きていけないという気持ちがあったと思います。俺様気分は生き辛いと今では思っています。

そういうことで、ヨガ修業に励みたいと思います。

ハリオーム・タット・サット!

ヨガのお経



あう人には、あうと思います。
私は、よくききます。




瞑想

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ヨガのMari先生が瞑想はべつに座禅を組まなくてはできないものではなく、生活のすべての場面においてできるとおっしゃっていました。そのときは、ピンときませんでした。

しかし、瞑想とは、感情が平静で、深い集中状態のことをいうのではないかと、今朝、ロックミュージックを聞きながら、瞑想をしていて気づきました。

そして、シータ先生がニュートンは科学の分野でのリシ(仙人)だったとおっしゃったことがあります。私はそれを聞いたときは、ニュートンがライバルのフックに行った所業を思い浮かべて、「でもニュートンってそうとう性格偏ってそうだけど」と思いました。

つまり、性格がどうであろうと、瞑想を行うことにより、深い洞察を得ることはできるということかと気づきました。

つまり、私が、昔、プログラミングで数時間ハック状態になったりした、アレは瞑想の一種なのではないかと気づきました。つまり、プログラミングを行じていたのではないかと思いました。

そして、本格的な瞑想とは、”何かに集中する”という心の動きそれさえ止めてしまうものをいうのかなと考えました。

気が向いたらまた加筆します。




プログラミングに恋をして

コーヒーを飲んで、ハイな状態で一気に書くので、いろいろ問題があるかもしれません。

Computerprogramming

私のコンピュータ・プログラミングおよび、コンピュータ・プログラミング言語に対する思いは、普通の人の恋愛感情に非常に近いのではないかと思います。

私が、最初にプログラミング言語にふれたのは、ゲームセンターあらしで有名な、すがやみつる先生のBASIC言語入門書だと思います。中学ころの話かな。そこで、変数という概念をしりました。

中学3年あたりで、どうしても自分のパソコンが欲しくなり、生まれて初めて、親に「これを何がなんでも僕に買って」とお願いして、親の経済状況から、すぐに買ってやれないと言われると、すねてみたりしました。

で、めでたく、富士通のFM-7を手に入れたわけです。たしか、FM-7はCPUが2つついていて、アセンブリ言語でゲームプログラミングをするにはすこし、癖があったのを覚えています。

で、そのころは主に、BASICとモトローラの6809アセンブリ言語を使っていたような気がします。

高校1年のとき、BASICで書いたゲームがゲーム雑誌に掲載されたのはすぐこうれしかったです。

で、大学に入って、エプソンのPC-286を買って、ボーランドのTurbo-Cを買った嬉しさから、セガのコラムスというゲームのクローンをC言語で書きました。

最近の若い、情報科学科のゲーム友達にC言語のバイブルK&Rといってキョトンとされたのはショックでした。

このころ、アセンブリ言語8086を勉強して、たしかに6809より言語設計が汚いなーとおもったのを覚えています。

このころ、近藤嘉雪先生に著書を通じて、私淑していました。計算量という概念を知ったのもこのころだと思います。コンパイラってなんだかスゲーなと思い始めました。

その後、C++をビャーンストロウストラップ先生の本を原書で精読して、テンプレートっておもしれーなーとか、思いましたが、ちょっとC++は複雑すぎるような気がしました。C++で正規表現ライブラリを書いたような気がします。

その後、Perlに恋をして、NetNewsに投稿される記事のプログラム片のバグを見つけられるぐらいには精通しました。いまでも、私のウェブサイトのアクセスログはPerlのCGIプログラムが動いています。

で、GNU関係で、Emacsを知って、Lispを知りました。
RMSが書いた、Emacs Lisp Manualを精読して、パッケージの開発なんかをしました。
このころは、Linuxに住んでいた気がします。

で、DelphiもGUIビルダーの恐ろしいほどのできのよさに、恋をしました。
これもObject Pascalで正規表現ライブラリを書いて、インターネットで公開してそこそこの人に使っていただきました。

そのご、Emacs Lisp界隈から、なんだか、Common Lispというすごい言語があるらしいという話が入ってきて、Common Lispに恋をしました。

そして、自分でCommon Lispの言語システムを開発して、それで身をたてようとしてSaclaプロジェクトを立ち上げましたが、コンパイラの最適化が難しくて挫折しました。

私はプログラミング関係はすべて独学で師匠に直接指導を仰いだことがありません。
やはり、独学には限界があるのかなぁというのが現在の心境です。

運が良ければ、Lispの竹内郁雄先生、湯浅太一先生、荻谷昌巳先生に弟子入りしたかったなぁという気がします。

これが、私のプログラミングへの恋話を短くまとめたものです。

気が向けば加筆します。




お金は放射性物質?

ネットで読んだ話か、自分が考えた話か忘れましたが、英会話のリア先生とタイのお坊さんの金銭的堕落について話した時にしたら、面白い考えだと言ってくれたので書きます。

私は、別に、「お金って汚い」とかそういうことを言いたのではないです。私もお金がすごく欲しいです。ただ、お金は扱いに注意を要するということを言いたいのです。

我々は、日々、ある程度は放射能に被爆しながら生きています。

同じように、我々は日々、生活に必要なお金を使って生きています。

しかし、ひとたび、大量の放射性物質を手に入れたら、いろいろな問題が発生します。周囲の人への影響とか、自分が被爆して病気になるとかもろもろのことです。

でも有効利用もできるかもしれません。

私は、お金もそういう性質があるのではないかと思っています。金を大量に手に入れたら、まず自分が金の影響を受けてしまうでしょうし、周囲への影響もあります。

気が向いたら加筆します。

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私の困った癖

私には、私の社会生活に深刻なダメージを与える可能性がある困った癖があります。

仏教では、四苦八苦の四苦に生老病死をあげています。

生きることの苦しみ
老いることの苦しみ
病の苦しみ
死ぬことの苦しみ

です。

私の困った癖は、人のその生老病死に関する話を打ち明けられたときに、とたんにヘラヘラしだすという悪い癖です。

治したいと思い、原因を考えてみてどうやらこれではないかというものがあります。

私は17歳で高校生のときに、身内に生老病死に関する深刻なコトがあり、そうとうなショックを受けたはずなんですが、そのショックを受けたとき、私はヘラヘラすることで、それをなんとかやりすごしました。

それ以来、何度かこの悪い癖が発動してしまい、人間関係が壊れました。

私には、今、いろいろな分野で師匠と私が心の中で思っている方々がおられるのですが、この師匠の一人に対してもこの悪い癖が発動してしまったことがあります。

しかし、この師匠は、後日、やんわりとした怒りを私に示しただけで、赦してくれました。私はこの師匠には絶対、ついていこうと思っています。

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将棋をはじめました

何週間か前から、将棋を始めました。

以前から、友人には言っていたんですが、すべてのゲーマーはいずれ、将棋、チェス、囲碁などの古典的ボードゲームにたどり着くのではないかというのが私の意見です。

なんといっても、将棋にはプロのゲーマーつまり、棋士がおり、社会的地位と収入があるわけです。

コンピュータ・ゲームだとまだプロのゲーマーの地位はあやういものです。
コンピュータ・ゲームが将棋などと勝負できるようになるのは、仮想現実世界が実現した時かなと思っています。

人生をかけてプレイをしている人たちが多くいる将棋や囲碁、チェスというものに非常な魅力を感じます。そして、見た目のシンプルさで実は、囲碁がいいなと思っていたのですが、私は文字に魅力を感じるので将棋でもいいかと迷っていました。

実際のきっかけは、将棋の駒職人のTさんとお友達になったことです。本人がいやがると思うのであまり書きませんが、いろいろ調べているうちにTさんはそうとうスゴイ人であることがわかりました。で、スゴイ人の例にもれず、非常に謙虚な人なわけです。これは何かの縁だなと思いました。

いまは、タブレットに毎日配信される3手詰めの詰将棋を毎日解いている初歩の初歩の段階です。

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俺様は生き辛い

自分が100%正しいと思って、相手を非難しているような人を見ると、私は、

「あぁ、この人は俺様の人なんだなぁ」

と思います。そして、かつて私が俺様の人だったので、

「それは生き辛いんだけどなぁ」

と思います。

ただ、それをどう相手に伝えたらいいのかわからず、あいまいに笑いながら、その場をすごすことが多いです。

私も元、俺様。同じ、俺様同士、できれば、

「その生き方は難しいと思う」

ということを相手に伝えたいのですが、なかなかできません。

修業がたりないですね。

そういう私もたまに俺様にまだなります。

修業が足りないです。

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アニメのススメ

私は正直、子どものころに夢中になって以来、大人になってから去年(2013)まではアニメをバカにしておりました。

「ああ、お子様が見るアレね」

という具合です。いちおう、最後に見た有名なアニメはエヴァンゲリオンのTVシリーズでこれはなかなか面白いなと思っていました。

私は、映画は良く見るほうですが、映画鑑賞歴30年以上となると、典型的なハリウッド映画ではもう何も感じられなくなっているわけです。

一応、好きな映画は、SFならブレードランナー未来世紀ブラジルなど、その他、カサブランカ
デヴィッド・リンチブルーベルベットスタンドバイミーエマニュエル・ベアール天使とデートなどなど、映画好きが通る道は通ってきたつもりです。

そんな映画に倦んでいた私に、ある若いゲーム友達が、
「念仏さん、アニメおもしろいですよ」
とすすめてくれました。

その作品の一つが、「魔法少女まどか☆マギカ」です。

正直、絵をみて、「44歳のおっさんの俺がこれみるの?」と萎えました。

でも、その若い友人を信じて見た結論からいうと、ああこれは物語(SF)として傑作だなぁと思いました。

まず、体裁は「ひみつのアッコちゃん」なんかから始まるであろう、魔法が使える少女たちの物語なわけです。

ところがどっこい、その裏では、(知性派のザンスラさんいわく)ゲーテファウストや、私からするとなじみ深い星新一ショートショートでおなじみの悪魔との契約(なんでも願いをかなえてあげるよ、そのかわり君の魂をもらうけど)がモチーフになっているわけです。

また、結末も、「主人公が愛と勇気と本気をだしたからハッピーエンドになりました」というものではなく、あくまでロジカルに定められたルール内できれいにまとめられています。

また評論家の宮崎哲弥さんは「凡夫であるまどかが菩薩や如来への階梯を駆け上がっていく成長物語」と評しております。

そんなわけで、最近おもしろい映画がないな~とお嘆きの貴兄に、アニメをしばらくみていなかったら、ぜひ、日本のアニメをおすすめします。

 







ラージャ・ヨーガとタントラ・ヨーガ

ティーチャー・トレーニング・コース(TTC) でならったことを私なりに理解した範囲で書きます。

ラージャ・ヨーガ
王道のヨーガ、一般の人が想像する道徳律である(嘘をつかない、盗まないなど)、ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)に従いながら、ヨガのポーズや呼吸法を実践・勉強しながら、瞑想により、心の平和を目指す方法。

タントラ・ヨーガ
一見、悪いと思われることもあえて経験することにより、修業の糧とする方法。タントラ・ヨーガを表現した言葉に次のものがあります。
「落下することで上昇しなければならない」
「毒薬も賢者によって使用されると不老不死の薬となる」

なんとなく、なんでもありのタントラ・ヨーガのほうが修業方法として楽なんじゃないかと私は最初に思いました。酒もタバコもやめないでよさそうだし。

ところがどっこい、タントラ・ヨーガはラージャ・ヨーガよりそうとう難しい修業方法ではないかと実感している今日この頃です。

ただ、現在、タイに住んでいてヨガや瞑想もけっこうしているDMM英会話のリア先生と授業中に話したのですが、タイでは小さいころから何も悪いことをしないように教育された、いわば純粋培養されたお坊さんたちの堕落が社会問題となっているそうです。

これは、難しい問題です。

ただ、自分の都合のいいときだけ、「私はラージャ・ヨーガをやっています」「私はタントラ・ヨーガをやっています」と使い分けるのは、直感的に一番いけないことなのかなと感じている今日この頃です。

「で、お前はどっちの修業方法をとるんだい?」と尋ねられたら今の私は、「ギャーナ・ヨーガですw」と逃げます。

気が向いたら、加筆します。

Lotusflowerdesignom




私の怖いもの

私は、どういうわけか、魑魅魍魎、幽霊、物の怪のたぐいはあまりこわくないです。

冬、近所の公園墓地に、真っ暗な朝の5時に散歩にいったりして、母に「あんた、怖くないの?」といわれて、「ああ、普通はこういうのは怖いんだな」と気づいたりします。

そして、インターネットで流布されているグロ映像もためしに一、二度見たことがありますが、あまり怖いと感じませんでした。

ムカデ、げじげじ、ナメクジなどの虫、動物なんかも平気です。

では、何が怖いかといえば、見知らぬ人と会話しなくてはならないことですね。それも多人数を前にして話さなければならないと脅威が増します。スカイプを使った英会話レッスンを受け始めたときは、レッスンの直前に酒を飲まなければなりませんでした。
この恐怖感・緊張感がいつ発動するのかは、微妙なところで、店などで買い物するのはぜんぜん平気です。

打ち解けた間柄の人なら何人いても、なんとか、大丈夫ですが負担は感じます。

いつからこうなったのかわかりません。大学生あたりではもうそんな感じでした。

そんなわけで、大学在学中か卒業まもなくに英検一級の一次筆記試験は通っているにもかかわらず、いまだに2次の面接試験は最初に一回落ちて以来、うけていないわけです。

だから、塾で急に飛び入りの見知らぬ生徒さんを教えたり、ヨガの先生になろうとしたりっていうのは、高所恐怖症の人が綱渡りに挑戦するような感じで、私にとってはチャレンジングなことなわけです。

というわけで、塾でうまく授業ができたときはとても達成感があります。

ヨガのシータ先生のブログを読んで、こんなことを書いてみました。

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