異常な精神的疲労

いま母が入院していて、実際ならすこし精神的に楽になるはずなんですが、病院に見舞いに行く度に異常な疲れを感じるようになりました。

たぶん私は病院の雰囲気みたいなのが合わないと思うのですが、おとといは呼吸が荒くなるほどの疲労を感じて、母との会話もそこそこに帰ってきてしまいました。

感情的に悲しいとか怒りとかいっさいなく平常心なのですが、疲労で首筋がシビれるような感じになって、呼吸もあらくなります。

まぁ、まいったなと…姉が実家にもどってくれたのでなんとかなってますが、姉がいなかったら母には施設に入ってもらうことになったかもしれません。

疲労がとれればいつも通りのハッピーヘラヘラ野郎になるんですが、どうしたものかと…

まぁ、介護しているほかの方とかも同じような苦労をしているのだろうなと、同病相憐れむ的な…

認知症の母に適応しはじめています

感情面でどうこうはなかったのですが、一時は精神的疲労が激しすぎて塾で教えるのを泣く泣くやめざるをえなくなったりしました。(疲れがピークに達したときは変な色の尿がでました)

それがだいたい一年弱くらいお世話させてもらっているうちに適応しはじめたみたいで、激しかった精神的疲労と皮膚病の悪化がとまったようです。

ただ、町内会の班長や家事とか食事の買い出し、病院への付き添いなどなどけっこう忙しくしています。

いちおう家族内での短期目標としては、来年のオリンピックを家族そろってテレビで楽しむということになっています。

この世をゲームにたとえるとします

この世をゲームに例えること自体の是非はいまは問わないものとします。

ふつうゲームにはある種の終了条件があることが多いのですが、まず往生してしまうのは、この世に終了条件や勝利条件というものがあるのかどうかさえ分からないという点です。

「あなたがこの世にいま存在する意味を(もしくは無意味であることを)あなた自身は知っていますか?」

この問いに即答できる人はたぶんいないのではないでしょうか。ここらへんは、アンドロイドなんかが現実的になれば、

「ワタシハ、ニンゲンにホウシすることをイトしてセイゾウサレマシタ」

みたいな答えをするのでしょう。

映画:バニラスカイ

私は自分がこの世に生まれた意味(や意図)みたいなものがあるのなら、それに従うかどうかは別にして、ぜひ知りたいものだと思っています。

私がいまある種の天命じゃないかと感じているのは、”母の世話をすること”です。たぶん私が17歳のときに父が亡くならなかったら、若いころアメリカへ渡っていたと思います。いま、老いて認知症になった母の世話をすることに父との暗黙の約束を果たしているというある種の満足感を感じています(タクシーでクソもらされたりとかいろいろしんどいものの)。

もうちょっといろいろ書けるつもりだったのですが、気が向いたら加筆します。