ビデオゲームは物語るための最新のメディア

フィクションやお話を広く人に伝える手段としては、まず紙に文字で書いて伝えるという方法があります。小説なんかがそうですね。

昭和の頃なんて、小説家が社会に与える影響はかなり今よりも大きかったのではないでしょうか。(なんで日本の文豪って自殺ばかりなのだろうみたいな余計な疑問も浮かびます)

まず言葉でつたえる、でも、もっとインパクトを与えるためには絵があるといい、さらに絵が動いて音もある動画がいいということで、マンガや映画、テレビなんかが流行ります。

で、さらにもう一歩進めて、内容にプレイヤーがかかわることができる対話性のあるビデオゲームが登場します。

私のお気に入りのウィッチャー3なんて、私の選択肢の選び方ひとつで、ゲーム内の国の存亡が変わってきてしまうほどです。

Witcher3をプレイした感想

そこから、さらにもっと没入感を深める技術として仮想現実(VR)がどうやらゲームの表現手段として立ち上がりそうです。

私もiphone8を去年せっかく買ったので、DMMでお色気VRムービーを一つかって、千円くらいの安いヘッドセットにiphoneを入れて体験してみたんですが、たしかに女性がサービスしてくれて酒を飲ませてくれる店に実際にいるような臨場感がありました。

最終的にはやはりマトリックスの世界なわけです。

いまごろ映画マトリックスの感想

マトリックス的な技術が可能になったら、徳川家の何代目かの(家康はたいへんそうなので)将軍体験シミュレーターみたいなのが出てくれば体験してみたいですね(笑)。

お金を無限に持っていたらどう感じるか

お金に関してすこし面白いなと思う経験をしたことがあります。それは、無限に金を持っていたらどう感じるかというものです。

現実ではそれは無理なので、バーチャルなビデオ・ゲーム内での話となります。ゲームというとバカにする人がちらほらいますが、疑似体験としてはまんざらバカにできない没入感と感情移入をいまのゲームでは経験できるというのが私の感想です。

ロールプレイングゲームというジャンルの名作であるThe Elder Scrolls V: Skyrimというものがあって、私はその仮想世界のなかで数百時間を過ごしました。友人には数千時間すごした人もいます。

Skyrimの世界は社会発展の程度としては剣と魔法のファンタジーによくある現実でいう中世の頃のような感じです。当然、お金も存在し、ゲーム内で有利な立場を築きたければやはりたくさん欲しいわけです。

そして、このゲームには、開発者が使うためであろうコンソール・コマンドというものが存在し、”Nenbutsuの所持金を1000万Goldにする”みたいな命令をいくらでもすることができるわけです。こういうコマンドを使えば、Skyrimの世界である種の神のごときふるまいをできます。

人からの好感度も操作しほうだい…

いろいろ遊んだ末に、私はいちど好きなだけ金を使えたらどんな気分かということをやってみたことがあります。結果として”最初は有頂天になって買い物しまくるが、最後はゲームが面白くなくなった”のですね。

武器屋に入ってよさそうな魔法効果の付いた武器があればかたっぱしから手に入るし、体力回復ポーションも無限に手に入る、家もすぐ買えるし家具も一瞬で揃えられる、結婚にあたっての資金の心配もない、そもそも、ゲームの重要な要素である、お宝を求めてダンジョンを探検する意味がなくなってしまうのです。

この体験をもって、現実で金なんかたくさんあってもしかたないとか、すっぱい葡萄の話みたいなことを言うつもりはありません。でも、金をたくさん持ったらそれなりの楽しみ方を学習し直さないと、この世を空虚に感じてしまう場合もあるなと思いました。

人間の価値

私は根底においてはニヒリスト(仏教的には空論者ですが、無と空が同一なのかはまだ確信がないです)なので、すべてのことに本来的で絶対的な価値はなく、あるモノに価値があるとする主体がいて初めて価値というものはでてくるという立場です。

ニヒリストなのになぜ毎日が楽しいのか

だって、人権とか人の命は地球より重いとかなんとかって、それは”そういうことに人間社会ではしましょう”っていうある種、いってしまえばバーチャルな単なる約束事というか目標ですよね。

そういうお約束が通じない場面、たとえば、インドの林でトラに出会った場面を想像してみるといかに勝手な約束かがわかります。トラに”私には人権があって”みたいなこと言ったって滑稽ですよね。

で、そういう根底にある価値観を踏まえたうえで、やっぱり私も人間として人格を保っている以上、同族の人間には価値を感じます。褒められればうれしいし、けなされれば傷つきます。(ここらへん、ヨガでも仏教でもかならず何度も言われるのが、”称賛と中傷どちらに対しても心を動かしてはならない”です)

このまえYoutubeでみた動画で武田邦彦先生がおっしゃっていた人間観が私のものとほぼ同じだったので、それを紹介させてください。

まず、人間には価値があるとします、で、それを数値で表すと1000くらいとします。つまり、人間であるという時点で1000の価値がある。で、商売の天才とか、異常に頭がいいとか、美人とか、格闘技の達人とか、ドラッグ中毒とか、引くほど卑しい心根とか、ポン引きとか、そんな価値に関係のありそうなその他の属性は±10くらいの違いしかないというものです。

ものすごく偉いひとでも1010の価値、人が眉をひそめるような大悪人でも990の価値。

なぜ、そういうふうに思うのかは、正直、理屈では説明できないです。ただ、それが50年近く生きてきた、私という人格の中で構築された人間観だという…