釈迦がひとに言わなかったより大きなこの世の外側の枠組みを悟っていた可能性

ここでは、釈迦の人格がたんにひとから誉めそやされたり聖者としてもてはやされるだけが目的の俗物ではなかったと仮定します。

ノアだけはガチ

そうすると、あれだけ確信に満ちて人々を解脱させようとしたからには、なにか確信があったのだろうと(まぁ、大悟しているわけですから…)。

東洋の大哲学者たちの本領というのは、ひとりでピンときてしまうところなんですね。理屈じゃないわけです。

で、わたしがうっすら疑っているのは、現代人のわれわれでさえ理解していない、この世のさらに外側のなんらかの枠組みもしくはシステムを理解していたのかなと…

仏教と家族

上記エントリでも書きましたが、子供をこっそりもうけた愛弟子にマジ切れってちょっとなにかこの世のさらに外側あたりの仕組みまで理解していないとそういう態度をとらないのではないかと思います。

そのころのインドやネパールあたりでは輪廻転生がごくごく普通のコトとして社会で受け入れられていましたので、釈迦もその線にそったことを言っています。ただ、輪廻転生とは別のなにか仕組みを悟っていた可能性もまだあると私は思っています。(数百年前にタイムスリップした物理学者が、とりあえずこいつらには相対性理論じゃなくニュートン力学を教えとくかみたいな)

修行が進むと生きている実感が増すはず

ネットのどこかで、「仏教は人工的に修行で離人症を起こすモノ」ということをおっしゃっておられた方がいました。

離人症(りじんしょう、: Depersonalization)とは、自分が自分の心や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になるような状態を感じること。その被験者は自分が変化し、世界があいまいになり、現実感を喪失し、その意味合いを失ったと感じる。慢性的な離人症は離人感・現実感消失障害 (DPD)とされ、これはDSM-5では解離性障害に分類される(DSM-IVの離人症性障害)[1]

Wikipedia 離人症

わたしはヨガや仏教にハマってから、3日間にわたる固形物の断食をしてみたり、

断食のススメ

熱心にヨガのポーズを毎日してみたり、

出来た!シルシアーサナ/ヘッドスタンドポーズ/三点倒立

で、最終的にいまはおもにヨガや仏教の哲学の部分を参考にしています。

ヨガのバイブル:ヨーガ・スートラ
仏教入門

で、離人症みたくなるかというと、私の個人的な感想ですけど、以前より主体的に生きている感じがハンパないっすね。あと激しい感情の起伏はないです。精神的に疲れるってことは持病の都合でありますけど。