釈迦が断言、「煩悩に屈するぐらいなら我は勇ましく戦って死ぬ、このさい生死は問題ではない」

タイトルのようなことをスッタニパータかダンマパダで読みました。

まぁ、釈尊は自分の中の煩悩の存在に気づき、戦いを挑んで勝利したので仏陀になりました。で、こんどは他人にも煩悩と戦えとけしかけたわけです。

自分は自分の王・女王であるということ
自灯明・法灯明
死を前提として輝く生

神に対峙する(人間である)仏陀

神ってのはやっぱり人間ではないですよね。それよりももっと上等な存在なのではないでしょうか。

対して釈迦を含む仏陀ってのは明確に人間であるといえます。ただ考え方や感じ方や行いが非常に上等になった人間です。

われわれと同類のニンゲンで神と比べても劣らないような、釈迦が伝えた究極の大人といえるブッダが歴史上で何人かいたであろうというのは、自分との連続性という点で、ちょっとホッとする面があるなと私は感じます。(とはいえ上等なニンゲンばかりじゃなくてもいいとはわたし個人は思いますけど…)

釈迦は原始仏典を読む限り、物理世界に対して海を割ったり、水をワインに変えたりという奇跡は行った形跡はなく、ただ、同類の人間を説き伏せることにより、自分と同レベルに引き上げようとしただけです。

究極の大人(おとな)とは
釈迦もダンプカーでど~んとはねれば死ぬ問題

ダンマパダ(法句経)がKindle化されていたようです

いま買ってたしかめましたが、本文から注釈へジャンプして戻ってくるということが手軽にできますね。

ブッダの真理のことば・感興のことば」という書名になっています。

いまわたしが興味があるのは、AIに「この本で記述されているような人格になりなさい」と指示して膨大な原始仏教経典を食わせたら、疑似ブッダAIができあがるのではないかということです。

仏教入門