ビビると戦力ダウンする

数学を数楽にチャンネルより

この問題を見たとき、正直いって「アレ?…、極座標とか使うのかな…?」とかビビッて正常な判断ができませんでした。

結論から言うと、上記動画で川端先生が解説しているように、中学レベルの知識で十分解けます(扇形の面積を求めることに帰着する)。

ある年老いた偉い学者の先生が、「俺の人生なんて、実力一割、ハッタリ九割だよ、XX君」みたいなことを弟子に述懐していたらしいですけど、人間ならではのこの手の心理作用は面白いですね。

仏教・ヨガの哲理は最終的に数学を使って表現されるはず

Masaki Koga [数学解説] さんの動画です

自分でもわかって言っている自信は正直ないですが(笑)。そうなる気がする、もしくは、そうなるべき。なぜなら、誤解が多すぎるからという感じです。

ヨガ・仏教の経典などで述べられている人格や心境はある信念体系にのっとったモノで、数学的に厳密に捕まえることができる気がします(もしくは”無記”の部分が明確にできるはず)。

ここらへん、”ブッダ”としてのリファレンス人格である釈尊が過去のヒトなので、ヨガ界隈で聖人とされているひとを実験対象にせざるを得ないのかなと思っています。(物質化とか手品じみたことやってないで、すこしは協力してくださいよという…)

世の中変えるつもりがないなら、ヨガとか仏教なんかやめちまえ!

すみません、ちょっとイキったタイトルつけたほうがウケるかなと思って、こんなこと言ってみました(笑) ぷー太郎のざれごとです(笑)

ただ、西洋哲学が最終的にセカイを破壊できる核兵器を産み落とせたなら、東洋哲学がまっとうに進化していたら圧倒的な平和を実現するナニカを産み出せていたはずだと私見ですが思っています。つくづく残念です。

認識系はいじれる

あなたがある場所に監禁状態であるとします。戦争で捕虜になったと考えてみてもよいです。で、一日中、地面にデカい穴をスコップで掘らされて、穴が大きくなったら、それを元通りに埋めるという作業だけをさせられると。

聞いただけで、ひどい拷問だと思う方もいると思います。ただ、あなたがココロの中で

「俺はいまヒョロガリで非力なので看守とたたかっても制圧されるだろう」

「この苦役を肉体のトレーニングとして利用して、いつか看守をノックアウトしてここから脱出しよう」

こう決意したら、毎日のくだらない無意味に思える苦役が、とたんに、希望につながる重要なトレーニングとなるはずです。

これは一例にすぎず、ほぼ無限に現在の行為に意味づけを与えてあげることはできます。

空想書籍:哲学書「認識の彼岸」クラウド・ファンディング開始のお知らせ

ヨガの修行したい…

からといって、自分の好きなようにはいかないのが浮世のキビシサですね…

私が信頼できる師匠をまず見つける必要があるし…まぁどこの国の人でもいいのですけど

で、修行してどうなりたいのってことですけど、わたしが感じているこの世に対する違和感が多少は解決されるような気がします。

わたしは基本的に知りたがりなんで、この世ってなんなのコレっていう大きな疑問をいまだに持ち続けています。

修行が進むと生きている実感が増すはず

ネットのどこかで、「仏教は人工的に修行で離人症を起こすモノ」ということをおっしゃっておられた方がいました。

離人症(りじんしょう、: Depersonalization)とは、自分が自分の心や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になるような状態を感じること。その被験者は自分が変化し、世界があいまいになり、現実感を喪失し、その意味合いを失ったと感じる。慢性的な離人症は離人感・現実感消失障害 (DPD)とされ、これはDSM-5では解離性障害に分類される(DSM-IVの離人症性障害)[1]

Wikipedia 離人症

わたしはヨガや仏教にハマってから、3日間にわたる固形物の断食をしてみたり、

断食のススメ

熱心にヨガのポーズを毎日してみたり、

出来た!シルシアーサナ/ヘッドスタンドポーズ/三点倒立

で、最終的にいまはおもにヨガや仏教の哲学の部分を参考にしています。

ヨガのバイブル:ヨーガ・スートラ
仏教入門

で、離人症みたくなるかというと、私の個人的な感想ですけど、以前より主体的に生きている感じがハンパないっすね。あと激しい感情の起伏はないです。精神的に疲れるってことは持病の都合でありますけど。

修行の進んだときに出てくる魔境

これはいち仏教&ヨガ好きの妄想です。

修行が進むと、まずいままで自分を縛っていた社会慣習とかいろいろな制約がいったんはずれて、「自分は自由である」という認識がでてくると思います。天上天下唯我独尊てなもんです。

たしかに、心理的なタガが外れると、物理的にはなにをどうしようと行動をすることはできるわけです。

で、ここからが魔境と呼ばれるよろしくない言動が発生してしまうメカニズムだと思うのですが、自由なので何やってもいい → おさえつけていた、笑っちゃうほど俗っぽい動物的な欲がひょっこり顔をだす。はたからみていると、「なんだこいついやに俗っぽいな」となるわけです。

わたしのヨガの先生の目撃談として、ある男性生徒が女性を触りまくるとかそういう場面があったらしいです。