死隨念

金持ちは四苦を免れる世の中になる
科学で死はたぶん克服されてしまうだろうという予感

大学生のころ夜になると「死ねば楽になる」という考えがフッと頭に浮かぶことがありましたから、もしかしたらウツ状態にあったのかもしれません。

いまは基本的にヘラヘラしてますが、死にたくなるまえに”疲れたから寝よう”と思う感じです。

究極の大人(おとな)とは

聖者とかいいだすとややこしくなるので、”大人(おとな)”とか”大人の対応”とかいう言葉が分かりやすいと思います。

よく世間で、世の中の厳しさのなかでサバイバルしているうちに色々と妥協して卑しさを受け入れることを大人になることととらえている人たちが結構いるようですが、ハタから見ていて大人に見えないですよね。「いや、お前たんに卑しいだけだろ」という…

私が残念に思っているのはそういう大人として立派に成熟して見える人たちが現実にはパワーゲームの敗者になっている場面に結構でくわすことです。これってなんなのだろうと…とても残念です。

わたしはさとってないけど、考え終わった人

釈尊と同等のさとりには程遠い感じです。いまだにタバコをすっているし…私個人としては釈尊を尊敬しているけど、”エライ人がいっているからこうですよ”じゃ納得しない人が大勢いそうですよね…

ただ、考えることはおわったという感じがしています。”キツネ目の男”として有名な作家の宮崎学さんは”これからは、ごちゃごちゃ考えず、肉感的に生きよう”と思ったときがあったらしいですが、それも手だなと思います。私は自分が面白いと思えることをせいいっぱいやって、引き続き遊びつづけようと思っています。

まぁ、結論としては”この世はよくわからない”という噴飯ものの答えなんですが、”科学”といま呼ばれているモノの方法論(なにが科学的かという議論も含め)で引き続きこの世とはなんなのかをいろいろなスゴイ人たちに探求してもらうほかないという感じです。

科学以外にこの世を説明する聖人が何人でてきても説得力がないでしょという…

ヘタな考え休むに似たりというのを地で行っている感じなのが私らしくて気に入っています。