達成感を味わっています

今後は投資家として成功できればいいのですけど…

(理想論では)敵対者(特に同族)の殺害という悪習は卒業すべき

ただ、突発的な事故みたいな殺人は(脳に手を入れない限り)われわれには止められないだろうという。

モノとかカネとか地位とか名声とかをイロイロすごく欲しいヒトがいてもいい(って言うか必ずそういうヒトもでてくる)

わたしの個人的な感覚ですけど、大学生くらいのときにすでに”カネ持ちになって、社会的地位を得て、スポーツカーとかを乗り回して、タワマンに住む”みたいなステレオタイプの”成功者”が(あくまで私の目には)すごいバカに見えていました。

正直、なんでそういう見方になってしまったのかは自分でもよくわからないですが、その意味ではすでに”負け”は確定していたともいえるかなと思います。

ただ、そういう人生のプレイスタイルを志向するヒトを否定する気もないし、自分とはプレイスタイルが違うんだなという感想です。

仏教・ヨガの哲理は最終的に数学を使って表現されるはず

Masaki Koga [数学解説] さんの動画です

自分でもわかって言っている自信は正直ないですが(笑)。そうなる気がする、もしくは、そうなるべき。なぜなら、誤解が多すぎるからという感じです。

ヨガ・仏教の経典などで述べられている人格や心境はある信念体系にのっとったモノで、数学的に厳密に捕まえることができる気がします(もしくは”無記”の部分が明確にできるはず)。

ここらへん、”ブッダ”としてのリファレンス人格である釈尊が過去のヒトなので、ヨガ界隈で聖人とされているひとを実験対象にせざるを得ないのかなと思っています。(物質化とか手品じみたことやってないで、すこしは協力してくださいよという…)

「ワタシは和多志である」があるだけ

上記エントリで、真我(アートマン)をあえて図形的にあらわせば面積をもたない点であると説明しました。

図形的には点であるソレをこんどはあえて”ことば”で表すとするなら…

ワタシは和多志である

ではないでしょうか…

“和多志”ということばは、戦後にGHQにより禁止されて”私”を使いなさいということになったらしいです。なぜでしょうね…

とキレイに決まったなとおもったら、ネットによると「”和多志”が使われていたというのはデマ」だそうですw

この世がゲームだとして、抜け出さなくていいから仕組みをしりたい(知的好奇心として)

抜け出したとして、いい結果が得られる保証はないですよね…

上記動画によると、われらがヒーローである天才起業家イーロン・マスクさんは、”この世がゲームであるとして、そこから脱出する方法に多額の私財を投じている”らしいです。

わたしは”何かやってくれるヒト”として応援しています!

わたしも、この世のさらに”外側”みたいなのがあるのならちょっと好奇心からその仕組みを知りたいなと感じています。

知ってどうするかは、その場にならないとわからないですけど、とりあえず、「なるほど!」とは思うと考えています。

老教授「それではこれで、新入生へのオリエンテーションを終わります。なにか質問がある方いらっしゃいますか??」

「…ただし、”わたしはなぜココにいるのか”とかそういうのはカンベンしてください」

数十年前にわたしが大学の新入生だったころ、生徒を一堂に集めた大学生活のオリエンテーションでのひとこまです。

教授がそういうこと言うってことは、いままで一回くらいはそういう質問をした新入生がいたのかな…、たんなるギャグかな?とか思いますけど…

まぁ、そういう質問をする悩めるテツガク君みたいなひとには、

「知らんがな(怒)!!」

でもいいやろとか…

まぁ、時間が取れればテツガクしてもいいのですけど…

”正義”も数ある見立てのひとつ(ある種の偏見)

偏見ということばは強すぎる感じもしますが、ある時代のある文化圏で”正しい”とされる特定の考え方や感じ方がいわゆる”正義”なのかなと最近は感じています。

とはいえ、わたしなりの正義みたいなのは”わたしのココロには”非常に重要なのはいうまでもないです。

人間、死んだらどうなるか

アルボムッレ・スマナサーラ長老

トランスヒューマニズムの動きは、良い悪いは別としてとまらない気がする

トランスヒューマニズム(英: Transhumanism)は、新しい科学技術を用い、人間の身体と認知能力を進化させ、人間の状況を前例の無い形で向上させようという思想である[1][2]。省略して>HH+と書かれる場合もある。日本語では「超人間主義」などと訳される[3]。トランスヒューマニズムは人間の機能拡張やその他将来の科学技術の開発・使用により、将来起こりうることを研究する学問でもある[1][2]

Wikipedia トランスヒューマニズム
つばさの党 黒川代表

たとえば、”人間の身体にメスを入れて医療行為としての手術を行う”ことも当初はかなり感情的な抵抗感を人々は持ったはずです。でも、いまはこんな感じですと。

われわれの文明の大きな流れを見ると、トランスヒューマニズムはほぼ不可避だし、やめろと言ってもやる人はでてくるでしょうと。

あと、金属製の機械だと拒絶感を持つ人も、有機体(肉)の部品なら自分の身体に受け入れてもいいって感覚のひともそこそこいそうだなと。