仏教はほんらい”強い”はず

仏教はこころの合気道

評論家の呉智英さんが、釈迦を評して”非凡なエゴイスト”としていました。

わたしも若いころ自分のどうしようもない我の強さや濃さになやまされていました。

その我の強さでなにかとんでもない悪をやる恐れとかを感じていました(実際、中学あたりまで、頭の良い、こズルいクソ悪ガキだったわけですから、まぁ、環境が悪かったです)。

そういう強い我をコントロールして、社会にプレゼンタブルなものにするタガとして仏教は非常に有効だし、そういう意味で、仏教というと世間がイメージするまろやかな人格とは隔絶した、ある種”強い人”が仏教からでてきてもおかしくないはずです。(合気道の開祖 植芝盛平翁がめざした”至誠の人”です)

そういう強い人が社会的なリーダーとしてみなに進むべきヴィジョンを示すこともあるはずだし、じっさい私は期待しています。

この乞食がッ!!

という批判とか蔑み(さげすみ)、罵倒は仏教僧には効かないというか…

まず、乞食(コジキ)という言葉自体が、釈迦が弟子にやらせた乞食行(こつじきぎょう)から出てきているからですね。わかってて乞食をやっているわけです。批判蔑み上等でやっているし、じっさいにいろいろなイヤな目にあうこと自体が修行です。


タイの仏教僧が托鉢でもらえるフライドチキンとかを食いすぎて結構な数の僧侶が糖尿病とかの生活習慣病になっていると聞いたとき、

「コイツらバカかな…、必要なだけ食うなりもらうなりして節制すりゃいいだろ…」

と思いました。


ちなみに私の記憶が正しければ、日本では乞食行為はたしか禁止する法律があったはずです。まぁ、わたしも乞食はイカんだろとおもいます…

でです、仏教じゃなくヨガのほうの話なんですが、ヨガでそこそこ人気のある先生が「日本の金持ちは寄付をしてくれなくて…」みたいに嘆いて見せてたのを見たことあるんですが、

「人が苦労して稼いだカネをそうそう簡単にもらえると思ってんじゃねぇーよ、このコジキが!!」

というのが私のそのときの正直な感想でした(まぁ、例によって言わないんですけど…)

自分は良いことしているし、良いことに使おうとしているから、だれか金持ちがお金を恵んでくれるはずっていう、私からすると甘っちょろい考えには正直イライラします。じぶんで、売春するなり、土方するなり血を流して稼いでみろよと思います。

寄付を集めることについて

中国からの高僧

ふわっとした記憶で書くので、事実とすこし食い違うところがあるかもしれません。

昔、日本のデカイお寺に中国からエライ高僧を招いたらしいです。

で、その中国からの高僧が到着して発した言葉が、そのお寺にあったたぶん菩薩像だと思うんですが、その菩薩像に向かって、

「あなたは、菩薩で私より位が下なんだから、ここに来て私に挨拶しなさい」

というものだったらしいです。(もともと菩薩(ボーディ・サットバ)は修行者ってことなんで、そういう位みたいなことを持ち出せばたしかに下だったのでしょう。)

まぁ、冗談でカマしたなら笑えますが、本気でその手の権威主義を利用するつもりなら、その高僧はなにもわかっていないように私には感じられます。

ほんとにそんな人が高僧として活動していたとしたら、中国に入った時点で仏教はなにか変なものに変質してしまっていたと私には感じられます。

まぁ、いち仏教ファンのざれごとなんでイラっとした方はお許しください。