ヨガのポーズの一挙手一投足にこだわるのはバカ

まず、何のためにポーズをするのか考えてください。たぶん普通の感じとしてはリラックスするためでしょう。最終的には、Yogas Chitta Vritti Nirodha (ヨーガス・チッタ・ヴリッティ・ニローダ) のためなんです。

それをインストラクターが「はい、吸って~」とか言って、「もう吸えないよ」みたいな感じになっているのに、まだ息を吸おうとしたりして精神統一がくずれたらバカらしいですよ。

まぁ、なんとか筋はこうすると良く伸びるとかはあるんで、身体をぐにゃぐにゃにしたい人はそうすればいいと思います。私の思いつく限りでは、自慢する以外に通常の生活で身体が異常に柔らかいことに深い意味があるとは思えません。

で、Wikipediaが情報源なんで真偽のほどはわかりませんが、体の不自由な方たちがリハビリとしてヨガを体操としてやるなら、それは西洋の体操からたかだが数百年前に輸入されたものですからヨガって言ってもまぁ、西洋で発達したストレッチをやっているわけです。

異常に、このポーズのここは手が上を向いてないとダメとか、目くじら立てている人を私も目撃したことがありますが、今となっては、その人なりの「偉く思われたい」って願望の発露なんだろうなと思います。

ただ、「なんとなく面白いし、難しいポーズをするとみんなが感心してくれるからやる」って人を私は否定しません。でも、人格の高潔さとかとはまったく関係ないですけどね。

Yogas Chitta Vritti Nirodha (ヨーガス・チッタ・ヴリッティ・ニローダ)

まぁ、ヨガの先生にこの呪文を唱えて、ポカンとした顔をしたら逃げてくださいニワカです。

「ヨガとは心の揺れ(動き)を止滅させることである」

この文句はヨガの理論を支えるバイブルとしてのヨーガ・スートラに述べられたヨガの神髄です。

ヨガの偉い師匠クラスになると、痛覚さえコントロールできるレベルに行くらしいです。

確かに、私もこれを目標にしているので、タトゥーで身体のどっかにデカく入れようかなと思います(白目)。

下の”インテグラル・ヨーガ”という書物が、このヨーガ・スートラをスワミ・サッチダナンダが解説したものです。私はこれを何度も読みました。


なぜ「悪の聖書」がないのか

今、イスラム教のコーランを読み始めたんですが、旧約聖書(ユダヤ教)、新約聖書(キリスト教)ときて、神の最新版の啓示として登場したものですが、やはり、ほぼほぼ、いわゆる道徳的なことを説いているんですね。

これらの「聖書」や原始仏教の経典なんかも、つまみ食いしたりしていますが、ほぼ道徳的に正しいであろうこと、善か悪かといえば、善であろうことを言っています。

で、疑問なんですが、なぜ「悪のバイブル」がないのかということです。こういうふうに人を陥れれば事はうまく運ぶとかいうバイブルがあってもいいと思うんですが、ほとんど聞いたことがないですね。中国の孫子の兵法がそれに近いのかなと思いますが。

悪事は悪事だけあって「悪いこと」ですが、うまくやれば「結果」は得られることが多いのではないだろうかと私は感じています。

老子だかなんだかで、道徳がすたれて道徳家が世に現れて、法がすたれて世に法家が現れたなんていう物言いを読んだのですが、悪のバイブルがないとすれば、それはいかに悪に染まるのは簡単で、善を行うのは難しいかということかなと思います。

ガンジーも愛読していたらしい、ヨガのギータであるヴァガヴァット・ギータはもうちょっと善悪を超越した感じがあって、「なすべきことをなせ」(敵方に親族がいるので躊躇している主人公に戦争しろとけしかけている)みたいな感じですね。