「数式ということばじゃないと正しく伝わらない」問題

趣味で、初期仏典や聖書、コーラン、ヨガのギータなんかを乱読しているんですが、やはり自然言語によっていかに良いことを伝えようとしても、千年もすると(故意かどうかは微妙ですが)すっかり内容と逆のことを読み手が勝手にやりだすという事例を多く見聞きします。

たとえば、釈迦は「異性関係は人間の生殖にかかわる本質的な欲望なので、むやみに淫らにならないように、(男性の弟子が多かったので)女性には気を付けろ」というようなことを折にふれて語っていたり、「肉を食うからなまぐさと言うのではない、友人のカミさんと陰で一発やってそ知らぬふりをしているのを生臭というのである」なんて言ったりしています。

これが数千年たって、仏教がインドから中国、さらに日本へとくると何が起こったかと言うと…

「異性関係は気を付ける」→「女はやばいらしい」→「女とヤるのはよそう」→「男とヤればいい」

なんでだよ(笑)wwwwwwwwwww

たとえば、日本の寺関係の隠語で「幼い小僧」への性的表現がかなりあるとか、仏教僧を紹介する書物で、「この僧は女性との性関係をもたなかった、さらに男性との性関係ももたなかった」ということが”珍しい人”として紹介されていたり。

またキリスト教でもアメリカでカソリックの神父による幼児への性的虐待が社会問題になっていてバチカンはたしか総額数千億レベルの訴訟を抱えていると聞きました。

残念ながら、釈迦、イエス・キリスト、ムハンマドなど名だたるセイント(聖人)たちは、失敗したと言わざるを得ません。

釈迦だって、大悟をしたあと一度はそのまま死ぬ気だったのですが、まぁ、神話的表現にあえてしてますが、梵天に請われて世に「我は仏陀である」と大見得をきって宣言して、「人々の苦を滅しよう」という意図を持ったはずです。

だいたい、釈迦などがいう煩悩のコントロールは、よく釈迦本人も「激流を泳いで渡るほど難しい」と自分で言っていますし、「煩悩の激流を渡りきるものは数少ない」と言っています。

しかし、いったん社会的リーダーになろうと決意したのなら、所定の訓練をつめば、ほぼ九割以上の人が煩悩のコントロールができるようになるような訓練メソッドを残して、その結果、人類が戦争をしなくなったというような”結果”が欲しかったところです。

「激流渡り水泳スクール」っていって生徒を集めていて、激流を渡れるようになるのはほんの数人っていうのは許されないと思います。

みなさんにおなじみの日本の仏教者で一休さんという方がおられました。

その一休さんは、次のような言葉を残しておられます。

「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな」

まさに、私の感想もこの句につきます。

なぜなら、インドでは今、ヒンドゥーが支配的な宗教ですが(不可触民に仏教を広めている日本人の方がおられますが)、じゃ、仏教徒はどうなったのかというと、釈迦の没後数百年に、ヒンドゥー教徒による仏教徒の虐殺が起こっているんですね。また、最近ではミャンマーの仏教徒からのロヒンギャへのひどい虐待の問題なんかもあります。

「お釈迦様、あんた、問題解決するどころか、ぶっちゃけ問題を増やしたんじゃないんか?」


これらセイントの失敗のひとつは、聖典が情緒的な自然言語によって記されたことが原因の一つだと思います。

そこへいくと、数学のたとえばユークリッド幾何学なんて数千年たってますが、根底から覆されることはありませんでした。リーマン幾何学などの前提条件を変えたさらなる発展はあり、それはそれで実り多い発展をしましたが、いまだにユークリッド幾何学はほぼ万人に正しく解釈、理解されてその正しさに挑戦して成功した人はおりません。

また、数学はゲーデルの不完全性定理により、己の限界さえもきっちりと示しています。

いま私はこれらの、「数式もしくは形式言語でなにか言わないと、バカが曲解する問題」をちらほらと折にふれて考えています。

 

予測可能性:ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?

カオス理論てなものがあります。

それに絡んでバタフライ効果というものもあります。

また、
風が吹けば桶屋が儲かる

ということわざがあります。

日本人もうっすらそういう因果の流れの果てに、とんでもないことが起こりえる可能性には気が付いていたみたいです。

ここでは、そういう原因と結果には、ほぼ人間の予測を超える関係が成り立ちえるとします。

いま、私が道を歩いていて、ご老人に道を尋ねられたとします。そこで善行をつみたい私は、丁寧に道を教えて差し上げたとします。

で、そのご老人は私が教えた道を歩いていて交通事故にあったと。

もちろん私は何の責任も感じません…が、何かの因果を感じます。これは比較的、観測しやすい原因と結果ですが、非常に長期にわたってそのご老人を観察した結果、明らかに私が道を教えたのがある種の原因となって10年後、そのご老人が命を落としたということも結果として(量子コンピュータなんかを使って)判明する可能性はあります。

善行や悪行とはなんなのかという疑問が残ります。




呼吸の重要性

呼吸がどれほど重要かは、たとえば、人間を10分間無酸素状態においてみればわかります。
死にますね。

いかに大量の酸素を効率よく安定して身体に取り入れるかは、特にパニックになりそうなときとか、恐怖を感じているときなど、感情を落ち着かせ理性的な判断を下すために死活問題です。

たとえば空手には息吹という呼吸法があります。すこし昔、千葉真一さんのモノマネで関根勤さんが面白おかしくやられていた”コゥー”というやつです。呼吸が乱れたときに強制的に良い呼吸をする技です。

近年注目を集めている、ソビエト連邦の独裁者ヨシフ・スターリンのボディーガードから教わったミハイル・リャブコ(en:Mikhail Ryabko)によって創設されたシステマという格闘技もパニックになりそうになったら、息をフゥッと吐けという教えがあります。

またヨガにもいろいろな呼吸法(プラナヤマ)があります。

私なりにいろいろな文献にあたってみて、ひとつ言えるのは、心身をリラックスした状態にもっていくのに、速く浅い呼吸が良いとしているものはまず無いということです。

で、人から聞かれたりしたときは、私は

「とりあえず、ゆっくり呼吸してみてください」

と言っています。深呼吸です。