やめられないほど面白いことをやる

信じがたいことですが、こんな私が50歳近くになって、年齢の数字だけなら、もう若い人へアドバイス的なことをするような数字の大きさになりました。

ただ、私自身が「世の中はこういうものとか言うヤツはニワカ」という気づきを得ているので、なかなか若い人のサバイバルに役立つことが言えないのがもどかしいです。

それでも一つ言えるのは「やめられないほど面白いことをやる」。やめられないならやめなければいいんです。とことん追求してみましょう。

でです。マネタイズの問題とか、”面白いこと”が違法だったときのこととかは臨機応変に対処します。

たぶん、このやり方なら死ぬとき後悔の念が浮かぶことはないと思います。

私が小学生の頃、インベーダー・ゲームが流行って、近所の電気屋でそこの息子がずっとプレイしていて、それに怒ったおかみさんが、

「ゲームなんかやったってねぇ、すこしも金になんかならないんだよ!パチンコのがまだましだ!」

と怒鳴っていたのを今でも鮮明に覚えています。

まぁ、今はビデオ・ゲームをスポーツとしてとらえる新しい概念が立ち上がり始めました。もう億かせぐプレイヤーも世界にはいるのではないでしょうか。

面白いことを徹底的にやって、その結果はもちろん全部自分がかぶる。これでどうでしょう。

パワー論序論

パワー論とか偉そうなタイトルをつけてみたかっただけです(笑)。

私が母を連れて散歩をしていたとして、母がちょっと転びそうになったら、当然、私はパッと手をつかむなりして助けるわけです。また、そうすることを色々な方面からも期待されているのです。

なぜなら、その時、私にはそうできるだけのパワー(体格、視力、筋力、認知能力)がそなわっていることが誰の目からも明らかだからです。

感情面からももちろん助けますが、理性面からいっても助けないと面倒なことになるのです。

でです。むやみやたらと金とか権力を欲する人が多いのですが、そのパワーを自分が持っていると周知の事実になったらとうぜん義務的なものもそうとう生じるのですよと言いたいです。

そこがわかってねぇからそういう着地してんじゃねぇかと思いっきり突っ込みたい人が山ほどいます。

いまは、委員長とプーチンさんがどんな着地をするのかなぁと思ってみています。

 




ビキニ・アーマーの天才性

ビキニ・アーマーというものがマンガやアニメ、ゲーム界ではあります。

ビキニくらいの大きさでしか身体を覆わない鎧です。当然といえば当然なんですが女性キャラクターが着ます。

私は初めてビキニ・アーマーというものがあると知ったとき、

「いや、それじゃ身体を守れないからビキニと鎧って矛盾しているだろ」

などという無粋な考えが頭に浮かんでしまいました。

ここらへんの思考の枠がやっぱり理系臭いというか、矛盾に耐えられないのですね、多分私は10回生まれ変わっても、ビキニ・アーマーという概念を思いつかないと思います。