最低限の承認欲求が満たされるのはとても大切

なぜか、サルだから。

もっと丁寧にいうと、われわれ人類とサルは共通の祖先をもち、群れで生活する生き物だからです。またその群れの中では序列があるのが普通です。

群れのなかに自分がいてもよいのだということを感じること自体に非常に価値があると感じるように我々の心の仕組みがなっているのです。

自分はクズだけどそんな自分も人間社会にいていいんだと感じることは心の平和のために非常に重要です。

それをケアされないままに放置された人がでてきてしまうと、最悪、自殺とか、いろいろな事件として暴発してしまいます。


石原元都知事が重度の障碍者施設を見学したあとに、「生きるってなんだろうね」的な率直な感想をおっしゃったことがあったと記憶していますが、ほぼ寝たきりで意思の疎通も難しく、ややもするとこの人が生きていることに何か社会的な意味はあるのだろうかというような人たちもいます。私の意見では意味はあるというものです。なぜなら、その人たちを人間として社会が認知している以上、日本国民だし、人権も発生しているからです。とりあえずわれわれが目指している社会では構成員を見捨てないという価値観でいきますよということです。


で、その承認欲求ですが、これはこれでやっかいなもので、こんどは、ボスザルになりたいとか群れの中での順位を少しでもあげたいということで、人が集まればマウントのとりあいみたくなりがちですがそれはまた今度、思ったことを書きます。

この世は石の飲みあい

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