善悪はよくて拮抗、とらわれないほうが短期的には結果を得られる

というのが私の正直な実感です。

私もいつごろからか善悪で動いてはいません、面倒なことになるかどうかだけが判断基準です。で、それがたまたま悪をさけたような言動が多いというだけです。

悪事はペイしない

まず、われわれがなんとなく感じる善悪という二項対立での概念自体が、今の人類の恣意的なモノであると思われます。昆虫由来の高等生命がいたとして、我々の倫理感とはかけ離れた原理で動いてそうですよね。

善悪はファッション:だが善をもとめずにはいられない

アメリカの大企業なんかの重役にサイコパスの人が結構いるなんて話を聞いたことがあります。そりゃ、倫理感がほぼなければ冷静に結果がでるような操作的な言動をできるでしょう。

この世をゲームにたとえるとします

この世をゲームに例えること自体の是非はいまは問わないものとします。

ふつうゲームにはある種の終了条件があることが多いのですが、まず往生してしまうのは、この世に終了条件や勝利条件というものがあるのかどうかさえ分からないという点です。

「あなたがこの世にいま存在する意味を(もしくは無意味であることを)あなた自身は知っていますか?」

この問いに即答できる人はたぶんいないのではないでしょうか。ここらへんは、アンドロイドなんかが現実的になれば、

「ワタシハ、ニンゲンにホウシすることをイトしてセイゾウサレマシタ」

みたいな答えをするのでしょう。

映画:バニラスカイ

私は自分がこの世に生まれた意味(や意図)みたいなものがあるのなら、それに従うかどうかは別にして、ぜひ知りたいものだと思っています。

私がいまある種の天命じゃないかと感じているのは、”母の世話をすること”です。たぶん私が17歳のときに父が亡くならなかったら、若いころアメリカへ渡っていたと思います。いま、老いて認知症になった母の世話をすることに父との暗黙の約束を果たしているというある種の満足感を感じています(タクシーでクソもらされたりとかいろいろしんどいものの)。

もうちょっといろいろ書けるつもりだったのですが、気が向いたら加筆します。

要領よく生きたい?

高校時代の友人で、まぁ親友といってもいいような人がいたんですが、あるとき、

「俺は要領よく生きたい」

みたいなことをその人が言ったんですね。

で、私はそのとき、

「コイツ、ろくな人間にならないだろうな」

と思ったんですね。なんでそう思ったのかは今は思い出せませんし、今なら要領よく生きたいというのもアリなんじゃないかと思っています。

私の性格なんですが、世の中的に、どこまで思ったことを言っていいものか分からないので、ならその場では言わないということが多いのですが、そういう感じだと人と言い争いになることはほぼないですね。それが良いのか悪いのかは別として。

行ったことがないのに懐かしい街

Bangkok 112

Bangkok 112というYoutubeのチャンネルのファンでたまに気が向くと観ているんですが、タイの色街には行ったことがないのになぜか懐かしい感じがします。

東洋で欧米の植民地にならなかった場所は日本、タイ、チベットその他など世界でもごくごく少ないですが、純粋なアジア人の女性の顔つきや身体のラインをみているとすごく心がなごみます。

年配者のためのコンピュータRPG入門

とか、どなたか書きませんかね…

若い方は当然のこととして楽しんでいるビデオゲームですが、プレイして楽しむにはそれなりのビデオゲームにおける文法や作法みたいなのを身に着ける必要があるというのがこのエントリの主張です。

正直いうと私も20代の10年間はプログラミングばかりしていて、まったくゲームをプレイしていませんでした。で、30代後半から各種ゲームのプレイを再開したんですが、まず焦ったのは”何がどう楽しいかわからなかった”んですね。

いまはいろいろなゲームジャンルにおける最前線の様子が分かってハッピーなゲームライフを送れています。

皇族の服装は和装にもどすのはどうでしょう

令和になって、皇族の方々が出席していらっしゃるちょっとした式典などの映像を見る機会があったのですが、洋装なわけです。

洋装つまり、洋もの、つまり、西洋由来の衣装です。

で、日本の象徴たる天皇家の方たちのことですから、世界の見る目を意識して見た目の”戦闘力”みたいなのは非常に重要です。で、洋装はやっぱりマネというか、日本人にはこなれた感じがなく、西洋人が見栄えがするようになっている。私は自分でもスーツを着たりしてもなんか借り物みたいな感じが強いです。ここは戦闘力という観点から、雛人形みたいな恰好でいいのではないでしょうか。

お荷物的存在の日本人としての感想です。