人間の価値

私は根底においてはニヒリスト(仏教的には空論者ですが、無と空が同一なのかはまだ確信がないです)なので、すべてのことに本来的で絶対的な価値はなく、あるモノに価値があるとする主体がいて初めて価値というものはでてくるという立場です。

ニヒリストなのになぜ毎日が楽しいのか

だって、人権とか人の命は地球より重いとかなんとかって、それは”そういうことに人間社会ではしましょう”っていうある種、いってしまえばバーチャルな単なる約束事というか目標ですよね。

そういうお約束が通じない場面、たとえば、インドの林でトラに出会った場面を想像してみるといかに勝手な約束かがわかります。トラに”私には人権があって”みたいなこと言ったって滑稽ですよね。

で、そういう根底にある価値観を踏まえたうえで、やっぱり私も人間として人格を保っている以上、同族の人間には価値を感じます。褒められればうれしいし、けなされれば傷つきます。(ここらへん、ヨガでも仏教でもかならず何度も言われるのが、”称賛と中傷どちらに対しても心を動かしてはならない”です)

このまえYoutubeでみた動画で武田邦彦先生がおっしゃっていた人間観が私のものとほぼ同じだったので、それを紹介させてください。

まず、人間には価値があるとします、で、それを数値で表すと1000くらいとします。つまり、人間であるという時点で1000の価値がある。で、商売の天才とか、異常に頭がいいとか、美人とか、格闘技の達人とか、ドラッグ中毒とか、引くほど卑しい心根とか、ポン引きとか、そんな価値に関係のありそうなその他の属性は±10くらいの違いしかないというものです。

ものすごく偉いひとでも1010の価値、人が眉をひそめるような大悪人でも990の価値。

なぜ、そういうふうに思うのかは、正直、理屈では説明できないです。ただ、それが50年近く生きてきた、私という人格の中で構築された人間観だという…