利他ではなく利全(利善)

利他とか言っているうちは、まだ自己と他者を区別して意識しているわけです。

そこで、全体としてよい結果を目指すという利全(利善)を提唱したいです。利全的思考の中では、自分は他者とまったく同価値の(ただし得手不得手など使い方に違いはある)コマのひとつにすぎません

でも、そういう目論見がほんとうに全体へ良い結果をもたらすかどうかを私は疑っています。残念ですが、善意が裏目に出るという事例を観察しすぎました。ただそれでも善をめざさざるを得ないだろうと思います。

すくなくとも死ぬときに「自分は全体の善を目指した(している)」という満足感と誇りは自分の中に残るでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です