イエス・キリストのこと

新約聖書(福音書)が、おおよそ本当のことという前提で書きます。

そうすると、キリストは自分がああいう最後を迎えるのはあらかじめわかっていたし、それは弟子の誰が裏切るからなのかというのもあらかじめわかっていました。また、誰が土壇場でブルッって「俺はキリストの弟子じゃねぇっす」って言い逃れするかもわかっていたことになります。

すべてわかったうえで(神の子ですから…)、ああいうことをしたわけです。

私が新約聖書を読んでまず感じたのは、

「そりゃ、そんな振る舞いをしたら死ぬことになるよ…」

です。

私の好きな国際暗黒プロデューサーの康芳夫さんの言葉に、

「生きることそれ自体がアート」

というものがありますが、キリストの人生は私も信者ではないですが、一級品のアートだと認めざるを得ません。

目にうつるすべてのことはメッセージ

ユーミンこと松任谷由実さんの歌ですが、私は日常のそのときそのときで気になる歌というのがあって、いまはこの歌の歌詞の、この、

「目にうつるすべてのことはメッセージ」

が、すごく気になります。誰かが何かを私に気づかせようとしているこの感じ…

私は持病が持病なので、こういうこと言うのははばかられるのですが(笑)

利他ではなく利全(利善)

利他とか言っているうちは、まだ自己と他者を区別して意識しているわけです。

そこで、全体としてよい結果を目指すという利全(利善)を提唱したいです。利全的思考の中では、自分は他者とまったく同価値の(ただし得手不得手など使い方に違いはある)コマのひとつにすぎません

でも、そういう目論見がほんとうに全体へ良い結果をもたらすかどうかを私は疑っています。残念ですが、善意が裏目に出るという事例を観察しすぎました。ただそれでも善をめざさざるを得ないだろうと思います。

すくなくとも死ぬときに「自分は全体の善を目指した(している)」という満足感と誇りは自分の中に残るでしょう。