資産の多寡=人の価値とする?

私は人と接するときはとりあえず、相手も人間なんですから自分と同格もしくはそれ以上の存在として接します(家族以外の人には友人でも基本的に丁寧語です。)

で、その人を尊敬するかどうかは資産の多寡はほとんど気しません(とはいえ残念ながら貧すれば鈍するということはありがちだと思います)。
人格の高潔さとか、自分があこがれるような技をもっているとか、志が面白いとか、気が合うかどうかとかが、私のその人に対する主な価値判断の基準となります。あと、年齢もほとんど気になりません。


数学者のピーター・フランクルさんが、アメリカにいるとき恋人の自分への態度が雑なのが不満で、
ピーターさん「俺も数学者としてはそこそこイケているんだけど…」
彼女「じゃ、なんで金もってないの?」
ピーターさんは絶句したそうです。
(ピーターさんは、エルデシュ数1の数学者なんで数学者としてはイケているらしいです)


そうとうな資産(金)を持っているというのは確かに現在の世の中でそうとうなパワーを持っているということは事実でしょう。
でも、そのパワーで何をしようとしているか、何をしたのかのほうが私にとっては重要な気がします。

資産や金は普通の人がやらないような、それでいて合法な、そうとう卑しい行為をしても集められますね。また、たまたま親が金持ちとか。

とはいえ、裸一貫で事業をたちあげて清濁併せ吞む感じで事業にしている人は、見ていてほれぼれとすることはあります。(日本の会社で最近はDMMが何でもやってやろうというガッツがあって好きです。あと100円ショップ・ダイソーの矢野博丈さんとか。)


あと興味深いのは、欧米の(そこそこエグいことをやって)資産家になった人が多額の寄付をチャリティーにするのも面白い現象だなと思っています(結局あんた何したかったんだみたいな)




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