暴力

いちおう最初に断っておくと、高校に入って以降30年以上、私は他人に暴力をふるったことはありません。

怒りがさく裂しそうになると基本、へらへらすることでことを収めてきました。

大学在学中にプログラマとして働いていた会社で、典型的な無能なサラリーマンな人が自分の無能を棚に上げて私を罵倒したときは、激怒して、顔がよっぽど鬼のような形相になってしまったのでしょう、女性社員たちの噂の種にしばらくなっていました。そのときも、寸でのところで押さえてヘラヘラすることでごまかしました。

逆に言うと、中学までは、問題解決のために人を殴ったり蹴ったりということはあったわけです。私の通っていた中学はいわゆる荒れた中学で、暴力が日常茶飯事でした。

私はつっぱっていたわけではないので、タイマン(一対一の喧嘩)なんて流行っていましたが一度もやったことはありません。一度、ともだちに、「喧嘩つよいのになんでタイマンしないの?」と聞かれたことがありましたが、中学くらいでつっぱる人たちは、家庭に複雑な事情をかかえていたり、小学校でいじめられっ子だったのが、中学に入って、自分が身体が大きいことに気が付いて、そのパワーを行使しだしたりと、いろいろ理由がある人たちだなというのが私の観察結果でした。

どういう風に暴力が日常だったかという一例をあげると、私には親しい友達が何人かいたわけですが、休み時間とかに校舎内の階段を下りていて、前に友人がいて、「こいつ気を抜いてやがるな」と思うと、思いっきり突き飛ばして(へたに手加減するとケガをします)、下に落とすということをお互いよくやっていました。そういうことをしてもお互いの友情には一切響かないわけです。(右翼の人がテロリズムを肉体言語と表現していましたが、まさに私たちは暴力でコミュニケーションをしていたわけです。)

あとお遊びでデコピン(指をはじいて相手の額を打つやつです)の技を練習して、最終的にデコピンで相手の額にコブを作れるまでになったり。

そんな具合に、しばらく物理的な力を使ってこなかった私ですが、じゃあ、今後、一切、物理的な力を振るわないようにしようなんて誓いを立てているのかといえば、そんなことはありません。

暴漢に襲われれば、基本逃げたりしてことをまるく収めようとしますが、やはり最終手段としては物理的な力の行使はありだと考えています。

私は最近まで怒りを我慢することに慣れすぎて、自分が怒っているのか自分でもわからなくなりつつありました。ただ感情の違和感としか感じなくなっていたわけですが、でもふと「いま、こいつを殴ったらどうなるだろう」という疑問が頭に浮かぶことはあります。ある友人からガス抜きを適度にしないと、いつか暴力の突出として発現してしまう危険があると指摘されて、自分でもやせ我慢はよくないと最近思っているので、とりあえずは、怒りを口に出そうかなと思っています。




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