ヨガの教師に私が求めるもの

まず、例えで話します。

私が誰かにアインシュタインの相対性理論を金をとって教えるとします。
ここで、私が相対性理論を理解したという自覚がないということは、商売としてありえますか?

物事の理解には、その人なりの方法や、形式、深さがあると思うので、この理解の仕方じゃなきゃおかしいということは言いません。しかし、生徒から質問がでればその人なりの理解のしかたで質問に答えることになるでしょうし、その人の理解のしかたでは答えようがないのなら、正直にそう生徒につげて、どういう方向で勉強すればいいのかのアドバイスなりをすればいいでしょう。

さて、ヨガに話は戻って、心のコントロール術や生き方としてのヨガを教えるにあたり(とりあえずハタヨガなんかの体操方面はおいておきます)、ある程度自分なりにサマーディに達したという自覚がないのに、人から金とって教えるってありえますか?

ヨーガスートラによればサマーディにも深さの差があるそうですが、私の実感では、水泳に例えると、なんとなく25m泳げるくらいで、人から金とって教えている人が多すぎます。

出世が早いよと思います。

サマーディにある程度達しているという自覚があって、さらにそこから、それをいかに伝えるかという方法論をまた別に学ぶ必要があるでしょう。水泳のオリンピック選手が名コーチとは必ずしも言えないのと同じです。

・男性のヨガ教師が教え子の女性に手を出して、ポイ捨て。
・ヨガ教師の多くが精神的に不安定だと、同僚のヨガ教師が感じる。

ヨガの先生うんぬんというより、社会人としてだって成立してんのかよと思います。

ヨガのすそ野を広げるためには多少未熟な先生にもチャンスを与えるべきという考えもあるでしょうが、私は相対性理論が間違って伝えられるくらいなら、そんなチャンスはつぶしていくべきだと思います。

暴力

いちおう最初に断っておくと、高校に入って以降30年以上、私は他人に暴力をふるったことはありません。

怒りがさく裂しそうになると基本、へらへらすることでことを収めてきました。

大学在学中にプログラマとして働いていた会社で、典型的な無能なサラリーマンな人が自分の無能を棚に上げて私を罵倒したときは、激怒して、顔がよっぽど鬼のような形相になってしまったのでしょう、女性社員たちの噂の種にしばらくなっていました。そのときも、寸でのところで押さえてヘラヘラすることでごまかしました。

逆に言うと、中学までは、問題解決のために人を殴ったり蹴ったりということはあったわけです。私の通っていた中学はいわゆる荒れた中学で、暴力が日常茶飯事でした。

私はつっぱっていたわけではないので、タイマン(一対一の喧嘩)なんて流行っていましたが一度もやったことはありません。一度、ともだちに、「喧嘩つよいのになんでタイマンしないの?」と聞かれたことがありましたが、中学くらいでつっぱる人たちは、家庭に複雑な事情をかかえていたり、小学校でいじめられっ子だったのが、中学に入って、自分が身体が大きいことに気が付いて、そのパワーを行使しだしたりと、いろいろ理由がある人たちだなというのが私の観察結果でした。

どういう風に暴力が日常だったかという一例をあげると、私には親しい友達が何人かいたわけですが、休み時間とかに校舎内の階段を下りていて、前に友人がいて、「こいつ気を抜いてやがるな」と思うと、思いっきり突き飛ばして(へたに手加減するとケガをします)、下に落とすということをお互いよくやっていました。そういうことをしてもお互いの友情には一切響かないわけです。(右翼の人がテロリズムを肉体言語と表現していましたが、まさに私たちは暴力でコミュニケーションをしていたわけです。)

あとお遊びでデコピン(指をはじいて相手の額を打つやつです)の技を練習して、最終的にデコピンで相手の額にコブを作れるまでになったり。

そんな具合に、しばらく物理的な力を使ってこなかった私ですが、じゃあ、今後、一切、物理的な力を振るわないようにしようなんて誓いを立てているのかといえば、そんなことはありません。

暴漢に襲われれば、基本逃げたりしてことをまるく収めようとしますが、やはり最終手段としては物理的な力の行使はありだと考えています。

私は最近まで怒りを我慢することに慣れすぎて、自分が怒っているのか自分でもわからなくなりつつありました。ただ感情の違和感としか感じなくなっていたわけですが、でもふと「いま、こいつを殴ったらどうなるだろう」という疑問が頭に浮かぶことはあります。ある友人からガス抜きを適度にしないと、いつか暴力の突出として発現してしまう危険があると指摘されて、自分でもやせ我慢はよくないと最近思っているので、とりあえずは、怒りを口に出そうかなと思っています。

衣食住

最近、衣食住をきちんとすることの重要性がようやくわかってきて、いま、部屋とか家の整理整頓をしたり、食べ物を注意深く選ぶようになって来たり、身だしなみにも気を遣うようになってきました。

昔、テレビで見たと思うのですが、ある高名なお坊さんが、その手の靴を脱いだらきちんとそろえるなど、いわゆるキチンとすることの大切さを語っていたのを見たことがあるんですが、その時は、「なにわかったようなこと言ってんだ、このクソ坊主」くらいな感想しか持ちませんでした。

しかし、家や自分の部屋など環境を整えるのが大切なのは、人間の心と身体は環境から恐ろしいほどの影響を受けるからだし、食べるものに気を使うべきなのは、それが、自分の身体を作るものだからだし、身だしなみに気を付けるべきなのは自分の気持ちや他人が自分をどう見るかに非常に大きく影響するからです。

逆に、ある人の衣食住を見れば、その人の身体と心の状態をおおよそ判断できると思います。(精神科医はまず、患者の服装や髪形をよく観察するそうです)

なぜ、こんな簡単なことが分からなかったのか今となっては不思議です。

何か大きなことをやるのなら、まず、衣食住を整えてからだろうという感慨があります。