ヨガ教師危険論

まず、私はヨガを正式にはじめてから2年くらいしかたっていません。

またTTC(Teacher Training Course)つまり、ヨガ教師になる教育は150時間受けただけです。

そういう新参者の私でさえ、十分面の皮が厚ければ、「ヨガのセンセイです」といって、人さまから金をとってヨガのレッスンをすることができる(そんな私に金を払う客がいればの話ですが)「ヌルさ」がいまの日本のヨガ界にはあります。なんなら、金を積んで、有名どころの団体のTTCをいくつか受けて修了証を手に入れてもいいでしょう。インドでTTCを受ければ余計、ハクがつくかもしれません。

ちなみに、私は現在だれに対してもヨガを指導しておりません。

単なる健康体操としてなら、私は、インストラクターとして人にポーズを教えるのはアリだとおもっていますが、自分ではやりたいとはおもいません。なぜなら、それは、「ヨガから派生した健康体操」であってヨガの本質とはとても思えないからです。でも、それでも、かなり強力な体操だと思います。

ヨガの流派はいろいろあっても、経典であるヨーガスートラに明確に述べられているサマーディ(仏教でいうサトリの心境)を最終的にはめざしているということを否定する人はいないのではないでしょうか。

私がなんでこんなことを言いだしたかというと、私はつい最近まで、高齢者向けのデイケアセンターで、1回30分ほどのヨガのレッスンをボランティアで週に1回やらせていただいていました。

こんなヨガ歴2年くらいの生臭野郎が、スキンヘッドにしていたり数珠をさげていたり、それっぽくしていたとはいえ、高齢者の方たちが、こちらが怖いと思うような場面が数度あったほど、真剣に受け取っていることに危機感を感じて、やめました。

そう、イカサマはもっともらしいほど、「通じてしまう」のです。

私のTTCの先輩に「いやレッスンで教えるっていっても、俺はヨガはじめて2年もたってないっすよ」と言ったら、年数は問題じゃないし、気になるなら言わなければいい旨のアドバイスをもらいました。
その時は、なんかすごい違和感を感じました。

私の友人の将棋の駒師は、駒師歴20年くらいですが、業界ではまだ「若手」と呼ばれているそうです。

私はいま塾で英語、数学、理科をおしえていますが、英語は20数年以上練習して外国人とも英語で話しても通じるし、それなりの公的資格ももっています。数学、理科は、問題の解き方を教えるときは、解答をみなくても、スラスラその場で答えがでてきます。

ヨガは、人が何を食べ、何をどう感じ、どう呼吸し、考えるかまでに、人の生活や思考に手をつっこむものです、そんなものを教える人が、わずか数年の経験でOKってのは、いかにも危険なニオイを感じます。

またある高名な武術家の方が、「私は危険だと思うので呼吸法は教えていません」と著書で述べているのを読みました。

実際、私はヨガのTTC中に、かなりの心の中の価値転換がおきました。いまはその揺り戻し中です。

「素人の素朴な疑問にも答えられないようなら、ヨガとか言って人の心に手をつっこむのやめなよ。まして金とったりしてんなら、そのうち大けがするよ」

今は私はそう思っています。

一周してバカ

正直に言うと、私は人に言えばそれなりの敬意を払っていただける学歴があります。

本人としては、「それが学生としての仕事だから必要な分だけ勉強しただけ」です。

特に、大学に入ってからはいい加減の極みでテストで落第しないだけの字面だけの勉強にとどめて深い理解をせずすませ、プログラミングとかをしていました。だから公式には、電気工学士なんですが、電気工学のことはコンピュータのことを除いてほとんど忘れてしまいました。

だから、そういう私が自分をバカと表現することは、いろいろな人を愚弄することになるのは重々承知の上です。

でも、私が一貫して感じているのは、どうも生きにくいということです。なんかしんどい感じがします。(ヨガをはじめてからは通奏低音としてのハッピー感はあります)

ガキの頃から思っていたんですが、俺は一周してバカなのではないかという疑問がときどき沸き起こります。

40歳を過ぎて、いままで、一人で独学ばっかりだったから、今度は師匠を決めていろいろ努力してみようと思いましたが、酔った勢いで正直言うと、各方面のいわゆる「先生」と自称して、自分でもそう思っている人たちには、少なからず落胆しました。現在は多方面での活動を縮小中です。各方面の現状を知れただけでももうけものです。

友人で将棋の駒師のチポヤさんと、いろいろ話して、自分のこの世であたえられた役割を淡々とこなしていくことに納得したはずですが、どうもああしてやろう、こうしてやろうという俺ならできるという小賢しい考えが頭に浮かびます。

たまに思い出す名前で、「小池重明 」さんという真剣師(賭け将棋師)がいます。私には彼ほどのキラリと光る才能がないにしても、どうしても感情移入してしまいます。他人事とは思えません。

まぁ、風邪で塾の授業を2日ばかり休んで、こんなことを書いています。明日からは、夏期講習の最後の一週間がはじまります。

ろくでなしのアドバイス

私も今年で46歳になって、見てくれだけは「それなりの人」と間違って見られることが多くなりました。

自分の自己評価としては、「ぜんぜんなってない」です。

自分に厳しいつもりはないですが、自分のこととなるとアラばかり目立ってしょうがないです。

精進、精進です。

とはいえ、見てくれに騙されたのか、相談事を持ってきてくれる若い人がいます。

そういう人に、「それはモノの道理としてこうしたほうが、道理にかなっているのではないか」というアドバイスめいたことをしてしまうことがあります。

もちろん、プー太郎の世迷言なので、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあります。

でも、うまくいったときは、望外な感謝をされたりします。

「いやいや、たんなるプー太郎の世迷言なんですが」

という無粋なことは言わず、師匠づらしますw

まぁ、今は、講師業がとても楽しくて、楽しくて、明日休日のはずだったのが、理科の授業を1コマ頼まれたのが気にならないくらいですw