「私は英語を話せます」と人に言うことにしました

かまととぶるわけではなくて、本当に、自分の英語はまだまだだという意識が強すぎて、いままで、他人から「峯島さんは、英語ペラペラなの」というように、紹介されたりすると、非常に強い羞恥心と抵抗を感じていました。

でも、できるだけ客観的に見てみると、英検1級の一次試験は20年以上前にパスしていたし、最近、20年ぶりに英検受けても1次試験はパスしましたし(2次試験は対人的な恐怖感からとんずらしました)、TOEICは簡単すぎて余裕こいてたら時間がたりなくて失敗したにもかかわらず、910点とれました。

また、アメリカ人含め、英語で意思疎通する外国人の友人も何人かいます。(物言いを直されたりしています(笑))

そして、最近は塾で数学と理科しか教えていませんが、英語をおしえるときにはやはり、「私は英語を話せるよ」と言った方が、生徒の信頼を得やすいと思います。

そういうわけで、「英語を話せます」と人に言うことにしました。

でも、私の考えでは、高等教育を受けた帰国子女の方とかは、普通にTOEIC満点(990点)とるし、そういうのが「英語を話せるということだ」という考えがまだあります。

英語学習ページ

ブーメラン

私は、ある時期、他人の悪口・批判は一切しないようにしようと、心に決めて実行した時期がありました。

いまは、すこし緩くなって特に心を許した1人の人にだけ、心のたぎりの身の回りの人の罵詈雑言をいうことがあります。まぁ、生活の知恵ですね。

しかし、そんなときはだいたい酒が入っているのですが、それでも、「これは自分に当てはまり、帰ってくる言葉だ」ということは心のどこかに持っています。

絶体絶命

ある程度の年数を生きてきて、「絶体絶命」つまり、自分ではもうどうしようもない感覚、ワラにもすがりたい境遇に置かれたことのない人は、よほどラッキーか、よほど日ごろの行いが良い人ではないでしょうか。

私は、いま46歳ですが、人生の中で、一度だけ、「神様おねがいします、たすけてください」と平身低頭して神様的な「何か」に、心からお願いしたことがあります。